レパントの海戦

2007-11-08-Thu-22:30
レパントの海戦
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戦記三部作の締めくくりは『レパントの海戦』。
それまで、イスラムの拡張をとめることが出来なかったヨーロッパ陣営にとって、やっとオスマンの勢いを食い止めることが出来た戦いだった。

1453年 コンスタンチノープル陥落
1460年 トルコ、ギリシャを併合
1522年 トルコ、ロードス島奪取
1529年 トルコによるウィーン包囲
1538年 プレベザの海戦でトルコの勝利
1571年 レパントの海戦

本当にやっと食い止めたという状態だった。
後世からみると、レパントの戦いの後の動きがないため、それほど大きな転換点ではないようだが、もし、このとき、イスラムの侵食が続いていたら、西ヨーロッパでも大航海時代とは言っていられなかったかもしれない。

沈着冷静なバルバリーゴを中心に熱血漢司令官のヴェニエル、ジェノバの傭兵隊長アンドレア・ドーリア、オーストリアのドン・ホアン、トルコ軍ウルグ・アリなどの人物の人柄、どのような行動をとったかと、詳しく書かれている。
昔の戦争なので、最初は非常にゆっくりした動きであるが、海戦の当日は華々しく一日で決着してしまった。
 パラツッオ・ドュカーレ(元首官邸)に戦後ティントレットが壁画を描いたそうそうだが、すぐ1577年に火災にあって焼失してしまいその後、1603年投票の間に同じ題材でかかれたアンドレア・ヴィチェンティーノによって描かれたものが上の絵。絵の中央やや左側に描かれているのがヴェニエルらしい。
ティントレットの絵にはバルバリーゴも描かれていたらしいが、残念ながらこの絵にはバルバリーゴは描かれていない。
1585年に日本から天正少年使節団がベネチアを訪れているが、戦後14年目で彼らはティントレットのものもヴィチェンティーノの絵も見ていないわけだが、平和を享受しているベネチアの街を見たものと思う。
 
 それにしても、戦争は残酷で多くの人々を不幸に突き落とす。
 後世の人から見ると、単にどちらが勝った、負けたというに過ぎず、Aが勝てば、歴史はそれなりに動くし、Bが勝てばまたそれなりに動く。
 それじゃ、何のためにその当時の人々は戦ったのだろうか?
 悲しいかなそれが、人間の性とか業とかいうものか。


 塩野七生
 レパントの海戦
 1987年 新潮社より発行
 1991年 新潮文庫    
 2007年文庫を購入 460円(税込み) 

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