ロードス島攻防記
2007-11-01-Thu-23:19
塩野七生書評シリーズ
ロードス島攻防記

「ロードス島」をインターネットで調べると「ロードス島攻防記」より「ロードス島戦記」の方がメジャーなようだ。(英語だと"Rhodes"と"Lodoss"とずいぶん違うのだが。)
メジャーなのはゲームのLodossのようだ。
それはさておき、塩野七生ルネサンス戦記3部作は、いずれも西洋キリスト教VSイスラムで、このロードス島攻防でもコンスタンティノープルに続いて、西洋の負け試合である。

この島を勝ち取ったのはトルコのスルタン=スレイマン1世。
コンスタンティノープルを落としたマホメット2世の次の次の次のスルタンで『大帝』の尊称で呼ばれている。オスマントルコの治世の中でも抜群の安定と拡張した時代を作った人で、スルタンに即位した直後にまず実行した戦いだった。
ロードス島は、昔から文化の開けたところで、エーゲ海文明のころは、中心地であり、古代の「世界7不思議」のひとつとして数えられたアポロの巨像があったらしい。多分上の港の図の入り口付近にアポロ神が立っていたのではないかと思う。残念ながら紀元前226年の地震で倒れてしまったそうだが、高さ50Mもあったそうだ。
その後、ローマの時代になると、多くのローマ人たちが、留学に来たそうだ。有名どころで、ユリウス・カエサル、ブルータス、ティベリュウスなど多くの人が学んだところだった。
ローマ帝国の滅亡と共にロードス島も没落ぎみであったが、地政学的には東西交流の要衝であり、1300年ころから聖ヨハネ騎士団がこの島をベースにしてキリストの橋頭堡としていた。と言うとカッコよさそうだが、イスラム相手に海賊業を生業にしていたといったほうがよさそうだ。同じ頃イタリアの各地で北アフリカのイスラム海賊に悩まされたのと同じようにトルコの人も同じように厄介な海賊団だと思っていたのであろう。
話が、ずるずると逸れてしまったが、1522年スルタンスレイマンが7000のロードス守備隊に対して10万もの大軍で一気呵成につぶしてしまった。
しかも、大型大砲などの新兵器を動員して。戦争の形が大きく変わってきていたとき、聖ヨハネ騎士団は旧態然の甲冑で戦争をしていたわけで、戦う前から勝敗は決まっていたと言うべきでしょう。
この本を読んでいるときは、面白いと思ってサクッと読んだのだが、なぜか余韻が少ない。
たしかに面白いのだが。コンスタンティノープルに続いて、西洋側からの視点なのでどうしても守備に次ぐ守備、防戦防戦の続き。で、フラストレーションが溜まるのではないかと思う。
それで、「次の作でその解消をどうぞ。」ということなのかな?
ロードス島攻防記
新潮社 1985年発行
新潮文庫 1991年発行 ¥400
