アヘン戦争と幕末

2007-08-13-Mon-14:01
昨日
「賢者は歴史に学び、愚者は体験に学ぶ」この言葉の賛否はあるだろうけど、幕末の日本は賢者だったのか?昭和初期の日本は愚者だったのか?
と書いてしまった。
これは間違いだった。
幕末、明治初期の日本は、歴史に学んだわけではなく目の前の中国の有様に恐れおののいていたのであって、賢者とは程遠い。

道楽人はこの時代の日本がなぜ尊皇攘夷から開国、富国強兵へと進んだのか疑問でならなかった。しかも尊皇攘夷のリーダーが躊躇せずコロッと変身したか。
 このアヘン戦争あたりの日本を取り巻く環境を理解することで、なんとなく分かってきたような気がする。
 世に棲む日々 司馬遼太郎
 中国の歴史  陳舜臣
 阿片戦争   陳舜臣  この本はまだ読んでいない。
             是非読んでみたい本

 アヘン戦争とはどんな戦争だったか。
 これは非常に小さな戦争だった。中国にとっても局地戦であり敗戦であっても局地戦での敗戦であって、北京にいる連中には深刻ではなかったかもしれない。
 事件の概要はこうだ。
 アヘン密輸による臣民の疲弊をみかねた中国政府は、アヘンの貿易はしないという誓約書を要請した。しかしイギリスの商人はこれを無視したため、時の宰相、林則徐はイギリス船を拿捕、積んでいたアヘンを没収、廃棄処分にした。
 これに立腹したイギリスは軍隊を派遣して圧倒的な武力で中国を破りアヘン貿易を認めさせ廃棄したアヘンの損害賠償までとり、さらに香港まで割譲させたのである。
 こんな理不尽許されるのか!!
 さらに15年の後、イギリスは借りていた中国籍の船にイギリスのユニオンジャックを揚げていたが中国官憲に旗を降ろさせられた。
 これを口実にイギリスが派兵して北京郊外の円明園の焼き討ち略奪まで発展してしまった。このやりすぎをイギリスは謝るどころか北京条約で天津の開港、九竜半島の割譲などやりたい放題。これがアロー号事件

 アヘン戦争     1840年から42年
 アロー号事件(戦争)1857年から60年
 ペリー浦賀来航   1853年

 とにかく強者の理論がまかり通る。
 強いものが正義なのだ。
 だから戦争がおきるのだろう。
 強いものが、正しく模範になっていれば平和なんだろうけど現実はそうはいかない。また、歴史は勝者の歴史でもある。

先に戻って、昭和初期の日本についても間違いだ。
歴史に学ばず、さらに体験にも学ぶことが出来なかった。
これはまたの機会に

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