海の都の物語 下 その5 ヴィヴァルディの世紀、ヴェネツィアの死
2008-01-31-Thu-23:54
塩野七生シリーズ
海の都の物語 下 その5
◆ヴィヴァルディの世紀、ヴェネツィアの死
ヴィヴァルディといえば『タラッタッタッタララー、タララッタッタタララー、タララッタッターラーラー』の『四季、春』を思い出す。
今日、仕事をしているとき、同級生のE君とアイーダの話になって、どんな曲だったっけ。誰でも知っている曲のはずなのに思い出せない。と、仕事そっちのけで話に花咲いてしまった。しばらく考えて、そうそう、「たんたーん、たたたたったった、たたたたーたた、たったたーたた、たったたーたた、たたたたー」だ。
オペラは、見たこともないし、好きでもないが、この曲は覚えている。いい年した男ふたりで、身振り手振りつきで、アイーダの凱旋行進曲をハモってしまった。音楽はやっぱりいいもんだ。
アイーダのヴェルディは150年も時代が下った時の人だが、ヴィヴァルディや、それ以前から、文化の先進地はやはりイタリアだった。
ところで、この本を読むまで、道楽人がヴェネツィアの貴族の生き方として思っていたのは、イギリス貴族とゴッチャになっていたのかも知れないが、都会の金融で稼ぎ、田園でのんびり暮らす。と思っていた。それが、17世紀までのヴェネツィアはまったく違っていた。道楽人が思っていたヴェネツィアが現れたのは、この「ヴィヴァルディの世紀」からだった。
「貴族的」という羨ましいような暮らしをしていれば、面倒な政治や、商売のことなどどうでもよくなってきてしまうのだろう。政治を担うべき人のやる気がそがれてきてしまったと言う事だと思う。
ベネツィアの死ではナポレオンとのやり取りを時間を追って詳細に書かれている。
ナポレオンの揺さぶりに対して、老練に肩透かしをしているつもりだったが、そのようなワザはまったく通用しない時代になってしまった。
**引用**
正面にティントレットの大壁画、天井にはヴェロネーゼ描くルネサンス期の傑作、周囲は、これまたヴェネツィア派の絵画を総動員して描かせた、共和国の数々の栄光の場面に囲まれた広い議場には、沈痛な空気だけが支配していた。その中で、投票だけが、やり慣れた機械的な正確さで進む。結果は「平和」に賛成のもの五百九十、反対のもの7、態度未決定14であった。
しかし、この結果の出る少し前、ナポレオンはヴェネツィア共和国に対し、公式に宣戦を布告していたのである。
******
「二大帝国の谷間で」の最初に出てきた言葉、
「強国とは、戦争も平和も、思いのままになる国家のことであります。わがヴェネツィア共和国はもはや、そのような立場にないことを認めるしかありません」
(16世紀の外交官フランチェスコ・ソランツォ)
この言葉の究極の状態になってしまった。
宣戦布告を受けて、ヴェネツィアは一戦も交えることなくナポレオンに脅しに屈してしまう。
1797年5月12日、共和制を廃止し、民主制の政体に変えると宣言した。
ソフトランディングというか、一国の盛衰を人の命にたとえれば老衰に違いない。天寿を全うしたということか。
一国の栄枯盛衰を『政治の技術』をメインに経済、戦争、文化と織りあげて行く手法は道楽人にとってとても新鮮だった。
日本という国の歴史にも戦争は沢山あったが、ヨーロッパに比べれば、本当に平和な歴史だと改めて知ることができる。
明治以降戦争が多くなったのは、欧米化のためであることも違いない。
話が散漫になってしまい何を言いたいのかわからなくなってしまったが、(稚拙な感想だが)一番感じたことは、ワタシが現代日本に住んでいることの幸せを改めて認識したことでした。
当初、上下それぞれ一つずつ書くつもりだったのが、3+5と合計8つも書いてしまった。
だらだらと書いてきたが、これで、『海の都の物語』を閉じる。

カナレット (Canaletto)
フランス大使の到着 1740作
史実は1726年
パラッツィオデュカーレの上の雲が真っ黒なのは57年後のベネツィアを予想していたのでしょうか。
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海の都の物語 下 その5
◆ヴィヴァルディの世紀、ヴェネツィアの死
ヴィヴァルディといえば『タラッタッタッタララー、タララッタッタタララー、タララッタッターラーラー』の『四季、春』を思い出す。
今日、仕事をしているとき、同級生のE君とアイーダの話になって、どんな曲だったっけ。誰でも知っている曲のはずなのに思い出せない。と、仕事そっちのけで話に花咲いてしまった。しばらく考えて、そうそう、「たんたーん、たたたたったった、たたたたーたた、たったたーたた、たったたーたた、たたたたー」だ。
オペラは、見たこともないし、好きでもないが、この曲は覚えている。いい年した男ふたりで、身振り手振りつきで、アイーダの凱旋行進曲をハモってしまった。音楽はやっぱりいいもんだ。
アイーダのヴェルディは150年も時代が下った時の人だが、ヴィヴァルディや、それ以前から、文化の先進地はやはりイタリアだった。
ところで、この本を読むまで、道楽人がヴェネツィアの貴族の生き方として思っていたのは、イギリス貴族とゴッチャになっていたのかも知れないが、都会の金融で稼ぎ、田園でのんびり暮らす。と思っていた。それが、17世紀までのヴェネツィアはまったく違っていた。道楽人が思っていたヴェネツィアが現れたのは、この「ヴィヴァルディの世紀」からだった。
「貴族的」という羨ましいような暮らしをしていれば、面倒な政治や、商売のことなどどうでもよくなってきてしまうのだろう。政治を担うべき人のやる気がそがれてきてしまったと言う事だと思う。
ベネツィアの死ではナポレオンとのやり取りを時間を追って詳細に書かれている。
ナポレオンの揺さぶりに対して、老練に肩透かしをしているつもりだったが、そのようなワザはまったく通用しない時代になってしまった。
**引用**
正面にティントレットの大壁画、天井にはヴェロネーゼ描くルネサンス期の傑作、周囲は、これまたヴェネツィア派の絵画を総動員して描かせた、共和国の数々の栄光の場面に囲まれた広い議場には、沈痛な空気だけが支配していた。その中で、投票だけが、やり慣れた機械的な正確さで進む。結果は「平和」に賛成のもの五百九十、反対のもの7、態度未決定14であった。
しかし、この結果の出る少し前、ナポレオンはヴェネツィア共和国に対し、公式に宣戦を布告していたのである。
******
「二大帝国の谷間で」の最初に出てきた言葉、
「強国とは、戦争も平和も、思いのままになる国家のことであります。わがヴェネツィア共和国はもはや、そのような立場にないことを認めるしかありません」
(16世紀の外交官フランチェスコ・ソランツォ)
この言葉の究極の状態になってしまった。
宣戦布告を受けて、ヴェネツィアは一戦も交えることなくナポレオンに脅しに屈してしまう。
1797年5月12日、共和制を廃止し、民主制の政体に変えると宣言した。
ソフトランディングというか、一国の盛衰を人の命にたとえれば老衰に違いない。天寿を全うしたということか。
一国の栄枯盛衰を『政治の技術』をメインに経済、戦争、文化と織りあげて行く手法は道楽人にとってとても新鮮だった。
日本という国の歴史にも戦争は沢山あったが、ヨーロッパに比べれば、本当に平和な歴史だと改めて知ることができる。
明治以降戦争が多くなったのは、欧米化のためであることも違いない。
話が散漫になってしまい何を言いたいのかわからなくなってしまったが、(稚拙な感想だが)一番感じたことは、ワタシが現代日本に住んでいることの幸せを改めて認識したことでした。
当初、上下それぞれ一つずつ書くつもりだったのが、3+5と合計8つも書いてしまった。
だらだらと書いてきたが、これで、『海の都の物語』を閉じる。

カナレット (Canaletto)
フランス大使の到着 1740作
史実は1726年
パラッツィオデュカーレの上の雲が真っ黒なのは57年後のベネツィアを予想していたのでしょうか。
COMMENT
サメ軟骨と美肌とダイエット
2008-11-10-Mon-02:17
サメ軟骨とは、サメの軟骨の部分のことでコンドロイチンという人間を構成する重要な物質が多く含まれておりあの有名なフカヒレもサメの軟骨の一種です http://where.sabellsenterprises.com/
