小白鳥飛来

2007-10-31-Wed-20:41
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今年も白鳥がやってきた。
稲刈りの終わった田んぼでなにやら白鳥が遊んでいる。

近くの猪苗代湖に越冬にやってきた白鳥で、近くの田んぼでえさをついばんでいるのだろうか。
写真では豆粒ほどにしか写っていないが、多くの白鳥が休んでいるようだ。
白鳥にとっては、暖かな気候なんだろうが、もう少しすると厳しい冬がやってくる。
今は、冷たい雪が降るまでのつかの間の安らぎのような季節です。

錦織

2007-10-29-Mon-22:30
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昨日の日曜日は、裏磐梯中津川渓谷に行ってきた。
紅葉の盛りを少し過ぎたような感じだったが、きれいな紅葉を見ることが出来た。

欲を言えば、今年の紅葉は赤が少ないような気がする。
この写真は赤の多いところにしたが、なんとなく赤が少なめだ。
葉が赤くなる前に黄色のまま落ちてしまったようだ。

今年は、紅葉が遅いと思っていたが、見ごろと思ったら既に半分くらいの葉が落ちてしまっているようだ。
 それにしても、ここ中津川渓谷は紅葉のスポットで、周りに比べて一段と色鮮やか。
 鮮やかな木々のなかを散策するのはとても気持ちがいい。
 

 ここは、有料道路内にあるのだが、ちょっと変わっている。
 料金ゲートが一方だけにあって、通過すればもちろん料金を支払わなければならないが、中ノ沢の方から入って、同じ方に戻れば無料。

コンスタンティノープルの陥落

2007-10-25-Thu-23:59
塩野七生書評シリーズ
『コンスタンティノープルの陥落』
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この本は、ルネサンス東地中海戦記3部作のひとつ。
ちなみにあとの二つは『ロードス島攻防記』『レパントの海戦』。これは、続けて書こうと思う。

千年以上東ローマ帝国、ギリシャ正教の首都であったコンスタンティノープルの陥落の話である。
 主人公にもなっているニコロ・バルバロの目を通して陥落の様子を描いている。
 軍医である貴族のニコロの回想録から七生さん一流の想像力を生かして書かれている。

簡単に時代を整理すると

330年5月11日 遷都=コンスタンティヌスが宣言
トルコにより1362年アドリアーノポリ陥落
トルコにより1363年フィリッポーポリ陥落(この頃はコンスタンティノープルから一歩出れば東西南北トルコの支配地になっていた)
マホメット2世 1451年2月スルタン即位
1453年5月29日コンスタンティノープル陥落


1452年秋 時のトルコの首都アドリアーノポリで
マホメットは師であるカリルパシャにこう宣言する。
「あなたの持つ富は私にはもう必要ではない。いや、あなたの持っているよりもずっと多い富を、贈ることも出来るのです。私があなたからほしいと思うものは、ただひとつ。
あの街をください。
このときマホメット2世は二十歳。

そして1453年4月4包囲開始。
5月28日から29日にかけてリアルに戦況を書いている。
もちろん戦争は残酷なものであるが、弱冠二十歳の若者が歴史を変えようとした瞬間、そして、21歳で実際に変えた強い意志を淡々と語っている。さすがに塩野流

下の地図は19世紀のもの。ガラタの丘、トプカピ宮殿、聖ソフィア教会などが分かる。
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現在はイスタンブールと呼ばれているが、その昔はビザンティウムと呼ばれていたこともある。
西洋と東洋の架け橋とも言われたりしている。
現在、トルコ領でイスラム色が濃く、イスタンブールと言えば、バザールや礼拝呼びかけのアザーンなど聞こえてきそうだが、それもこの陥落から始まったこと。
行ってみたくなるなーー。そういえば、「飛んでイスタンブール」なんて曲もあったな。

上の絵は
スルタン・マホメット(メフメト)2世の肖像画
ベネチア派ルネサンスの画家
ジェンティーレ・ベッリーニ作

お肌年齢

2007-10-24-Wed-22:03
 テレビを見ていたら、お肌のCMをやっていた。
 すべすべ肌の女性がでてきて、62歳といっている。
 なんのコマーシャルだったか良く覚えていないが、たしか、ドモホルンリンクルだったような気がする。
 確かにきれいな肌だ。
 何でも斜に見てしまう道楽人は、あのCMの実態をこう見る。
 特別肌のきれいな人を見つけてきて、2週間化粧品を使わせて、
  「こんなにきれいなのはooooを使っているから」と言わせているに違いない。
  どうせ赤福と同じだよ。ヤラセだよ。
  と、テレビを見ながら言っていた。

 そういっているのに、 かみさんは、
  「わたしだって、あの化粧品を使えば、あのくらいきれいな肌になるのに!!」と。

 そんなわけないだろう。
 最近化粧なんてしている姿を見たこともない。
 
 『弘法筆を選ばず。』でなく『美人、化粧品を選ばず。』だよ。
 
 そうはいっても、釣り道具とかと同じで、まずは道具からか?
 
 とにかく、うちには合わない。とかごちゃごちゃ言っていたが、
 かみさんも、化粧するのが面倒なそうで、そんな高いのは元々考えてもいないとか。

 うれしいような。かなしいような。
  

サロメの乳母の話

2007-10-23-Tue-22:23
 塩野七生書評シリーズ
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 この本は12の短編小説の文庫で、全部で200ページくらいなので、一話が平均20ページ程度とお気軽な本である。
 中身も非常にお気軽。
 歴史など興味のない人にもお勧め。
 歴史的に有名な人の脇にいた人の視線からかかれた小説で、ほんの少しの史実をベースに七生さんが想像力を膨らませて有名人をチャカしながら面白おかしく書いている。

 第1話は『貞女の言い分』。 これは、ホメロスの叙事詩『オデュッセイア』の主人公であるオデュッセウスを妻のペネロペから見たお話。 (ペネロペ・クルスは知っていると言う人は多いかもしれないが)
 ヨーロッパ人ならオデュッセウスといえば、ほとんどの人はトロイ戦争の英雄ということは分かるらしいが、道楽人もほとんど知らなかった。何年か前、テレビで映画のオデュッセウスを見たことがあるが、とても荒唐無稽でまるで、不思議の国のアリスのように、次々と不思議な国に行って怪物、妖怪に遭遇する。なぜ、この原本のオデュッセイアが名作なのかは理解できないが、この『貞女の言い分』から逆に分かってくるような気がする。
 ギリシャもやっぱり男社会であったのだろうが、かみさんのペネロペがたいしたかあちゃんだ。
 オデュッセウスが戦に行って20年ぶりに戻ってくるが、なんでこんなに遅くなったのか、ごちゃごちゃ言い訳を並べ立てる。という説になっている。
 まあ、このほうがもっともな解釈で、すこし聞き知った原本の方がわけが分からないと思うのは、道楽人だけではないと思う。

 もうひとつ、有名人の妻から見た話。『ダンテの妻の嘆き』はとても身につまされる。
 世渡り下手の旦那をもった妻がさんざん愚痴を言いながらも最後までつれそうという話である。もちろん道楽人とダンテは比較にならないが、かの天才も普通の生活での煩わしさの中で生きていたのかと思うと面白いものである。

 12個ある話のなかから、道楽人がチョイスした二つは、だんなとかみさんの話になってしまっている。
 なぜだろう?(笑)


 最後の饗宴・地獄編では、距離も時代も超えて、集まった悪女たちの会話が面白い。
 ただし、ここまで行くとチョット作り過ぎという感じもしないではないが。

 この本は、最初にも書いたが、地図も年表も必要ないので、西洋史ビギナーにはお勧め。
 というと、歴史専門家からはお叱りをうけそうなので、西洋歴史小説ビギナーといい改めておきましょう。
目次
タイトル対象の有名人物語る人
貞女の言い分 オデュッセウスオデュッセウスの妻=ペネロペ
サロメの乳母の話 ユダヤ王ヘロデの娘サロメサロメの乳母
ダンテの妻の嘆き神曲の作者ダンテダンテの妻
聖フランチェスコの母聖フランチェスコ聖フランチェスコの母
ユダの母親裏切り者ユダユダの恩師
カリグラ帝の馬悪名高き皇帝カリグラ元老院議員になったカリグラの馬
大王の奴隷の話アレクサンダー大王大王の召使
師から見たブルータスカエサルを暗殺したブルータスブルータスの恩師
キリストの弟イエス・キリストイエスの弟
ネロ皇帝の双子の兄悪名高き皇帝ネロネロの双子の兄
饗宴・地獄編 第一夜世界の女性有名人大勢
饗宴・地獄編 第二夜日本の歴史で有名な女性も大勢

上の絵はギュスターヴ・モロー 『出現』 サロメが指差す向きに踊りの褒美にいただきたいと言ったヨハネの首が出現している絵である。新潮文庫の表表紙になっているのと同じ位置でトリミングしてみた。

 新潮文庫 2003年発行 400円
    元々は 1983年中央公論社で刊行 
          1986年中公文庫で刊行

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雄国山へハイキングに行ってきた

2007-10-21-Sun-21:42
久々に自然散策に行ってきた。
今朝の会津若松は、晴れというほどではなかったが、そこそこの天気、
天気予報では晴れマークだった。
娘に「最近運動不足だろうから、どうだ。久々に紅葉を見に雄国にハイキングにいかないか?」
と誘ってみた。
まさか行くと言うとは思わなかったが、最近は本当に運動不足ぎみらしい。
「行ってみる」ときたもんだ。

それでは、レッツらゴー。

車で登山口のラビスパまでは車で約1時間。登山口を午前10時出発。
しかし、
登山コースの登り口を少し登るとガスがかかって折角の紅葉シーズンなのに残念。
しかし、山の天気の変わるのは早い。登っているうちにパッと晴れることもあるのを期待して登ったが。
この通り。
雄国山は標高1271M、今回の登山口はラビスパ東、ラビスパの標高が760mということなので、標高差焼く500M、距離は約5Km。
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 今年は紅葉が非常に遅い。いつもの年より2週間くらい遅れているんじゃないかと思う。
普段の年なら10月20日ごろはこの辺の中腹は紅葉真っ盛りのはず。
ほとんどの葉っぱはまだ黄色ばかり。赤いのはウルシぐらい。
 この赤い実はなんだかわからないが、きれいだったので撮ってみた。
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山頂まで1時間50分。娘の脚だったので、このくらいだが、健脚であれば、1時間半くらいで着くでしょう。それにしても、山頂につくまで、ハイカーはひとっこ一人会わなかった。
 やっと山頂に高齢者の3人グループとであった。
 山頂の風は強いし、視界はまったく不良。本当は、眼下にカルデラ湖の雄国沼と紅葉、そして、磐梯山や、飯豊、会津盆地など360度展望のはずなのに何にも見えない。
 残念。頂上の展望台では強風のためあおられて寒くて居れないので、仕方なく、少し下りて、風の当たらないところで、持ってきたおにぎりをがぶり。
 すっかりひえてしまったので、そそくさと来た道を戻ることに。
 途中。 なんだ。これは。 くっくっクマーーー
 というのはウソ。
 下り終わって、ラビスパの食堂のまえに展示してあった子熊の剥製を映したものを合成してみました。
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 それにしても、往復3時間。上では、何にも見えない。雨には打たれる。紅葉もいまいちだったけど。
 久々に体を動かして疲れて、温泉に入って、気持ち良かったです。

かみさんとデートした

2007-10-20-Sat-01:12
NHK名曲アルバムの映像とともにベートーベン作曲の音楽を楽しむコンサートで。

最初は娘と共に3人で行く予定だったが、なぜか娘は行かないといったので、二人だけで行くことになった。
 たまには、十数年前を思い出しながらいいかな?とか思いながら、コンサートを楽しみに。

 しかーーし。
 指定席に着くと、いきなり、後ろの80歳くらいの老夫婦の会話がうるさい。
 ばあさん「もっと前の席があいてるから行きましょうよ。」
 じいさん「全部指定なんだからだめなんだよ。」
 最初はもっともだと思って聞いていたが、この会話を何度も繰り返す。
 ばあさんが少しぼけてきているのでかわいそうだな。とか思ったが。

 その後、演奏が始まってからは、
 じいさんが、演奏と共にスクリーンに映し出される映像をみて、
 「プラハ。いいところだな」
 ベートーベンは20何歳年下の女性に求婚して破れる。とか字幕をみて、「そんなの当たり前だ。」とかとにかグチャグチャと独り言がうるさい。
 さすがに、堪忍袋の緒がきれた家のかみさんが、後ろを向いてジロッとにらみつけた。
 さすが、かみさんだ。とても道楽人にはその勇気もない。
 かみさんに感謝すると共に、だれか知り合いが、この光景を見ていませんようにと祈りながらしばらく過ごした。
 その後、しばらくおとなしくしていた爺さんでも、10分もすると、前の状態に戻ってしまった。

 とはいえ、
 映像と音楽ということで、演奏の物足りなさを映像でカバーするのだろうと思い、演奏には期待していなかったが、演奏のほうもすばらしかった。
 ベートーベンゾリスデンというピアノ、バイオリン、チェロのチェコ人トリオでの演奏だった。
 ゾリスデンというのは、ソリストということだそうで、若いがそれぞれすばらしい演奏家だった。

 ベートーベンといえば、偶数番4,6,8番の交響曲が好きな道楽人にとって、6,8番の演目が入っていた。トリオで交響曲?と思ったが、さすがにすばらしい演奏家で、オーケストラに劣らない演奏ではあった。


 それにしても折角の名曲コンサートなのに台無しであったが、思い出だけは残った。

ルネサンスの女たち 第4話カテリーナ・コルネール

2007-10-19-Fri-23:56
ルネサンスの女たち 最終話 カテリーナ・コルネール
この本は 動静動静 という流れで組み立てられている。同じカテリーナでも先のスフォルツァとはまったく違うタイプのカテリーナ。行動派のカテリーナスフォルツァに対して、受動的なカテリーナ・コルネール。
 後の七生さんの著作『海の都の物語』の前哨戦となるような物語である。もちろん今までの女性の物語も、後の著作にふんだんに出てくるのではあるが。
 はっきりいって、この女性の物語はいまいち面白くない。というのも、先の静であるルクレッツァボルジアと比較してもなんとなく動きがない様な気がしてしまう。
 現実の距離でいえば、ベネチアからキプロスと距離的には大きく動いているし、貴族の娘から、王妃、とベネチアの制度からはまったくかけ離れたような生き方をした人なのだろうが、彼女の人生は贅沢で満足した生き方をしてしまった。ということでつまらないと感じてしまうのかもしれない。つまり、共和制のベネチア政治に利用されそこそこの幸せを感じさせられながら老いて人生を終えた。ハッピーエンドだからつまらなく感じてしまったのだろうか。
 結局この物語でのカテリーナコルネールはベネチアの政治を描くための女。
 七生さんは文末にこんなことを言っている。
 『見事な偽善である。しかも徹底した偽善である。カテリーナ・コルネールの一生はこのベネツィアの偽善によって動かされそして彩どられた。偽善はそれをしていることを自覚していない人間がやると、何の役にも立たないどころか、鼻持ちならないその臭気が、人々を毒する。しかし、それをしていることを十分に承知している人間の行う偽善は有効であるとともに、かつ芸術的に美しい。
 ベネチアの盛衰エッセンスのような。物語であった。
 ベネチアという国は、みんなにそこそこの幸せを感じさせることを最善とした国。これはのちのち、『海の都の物語』のときまた話題にしましょう。

 以上4人のほぼ同時代に生きた女性にスポットを当ててルネサンスを描いている。
 『ルネサンス=文芸(古代)復興 』 として学校で学んだことぐらいしか知らなかった道楽人にとってとても新鮮味のある物語であった。
 日本でも同時代、日野富子が生きていた。イザベッラのときに、同時代の富子が思い浮かんできたが、タイプがチョット違う。4人いるから誰か似たような女性がいるかと思ったが、さすがにそれぞれ皆違っている。
 十数年前NHK大河ドラマでやっていたときのことしか知らないが、女性であるが為後々、稀代の悪女として名を連ねることになった。戦乱の時代に生きる女は、時代(時の政治)に翻弄されながらもしたたかに生きてきたのは富子も含めてみんな同じだ。
 もちろん物語になるような人は特別で庶民とは違うであろうが。


 女性だから女性の物語をかけるのだろうか。
 女性を前面に出してはいるが、七生さんは結局ルネサンスという中世から近世への時代の転換点をかいているんだとおもう。のちの『ルネサンスとは何であったのか』というズバリのものもあるが、40年前にはこの形でそれをえがきたかったのだろう。
 40年前ではあるが、前にも書いているが、まったく古さを感じさせない。
 いまさらタイトルを変えるわけにもいかないが、惜しむらくはこのタイトルが、男性から敬遠されてしまうのは、間違いない。それと文庫がないのは、残念。
 道楽人は、どちらかというと平和に生きているせいか、物語は波乱万丈を求めてしまうのかもしれない。カテリーナ・コルネールの話はつまらないと書いてしまったが、彼女の結末が(以外に)つまらないのであって、物語は非常に面白いことは付け加えておく。


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ルネサンスの女たち 第3話 カテリーナ・スフォルツァ

2007-10-18-Thu-20:51
 この本では二人のカテリーナが主人公になっているが、この二人もある意味対照的。
 また、この。カテリーナ・スフォルツァは『イタリアの女傑』とも言われているように、最前線でルネサンスを生きた女でしょう。
 なぜ、これほどまでの女傑になることが出来たかを100年前にかさのぼって説明してくれるので、イタリア史知識なしの人にもわかりやすく説明されている。
 時のミラノの主人であるスフォルツァ家ではあるが、元を辿れば野武士集団親方。それで、女でもなよなよしていられないわけだ。
 そのカテリーナが、大人になれば、政略結婚させられる。とはいっても、フォルリとイーモラという小さな町ではあるが、街道沿いの拠点になる土地を持参金代わりに持っていき、その街を守(守るといっても街の人々を守るのではなく自分の財産としての街を守る)るために生きた女。
 道楽人の感覚からすればチョット勘弁というタイプであるが。

 旦那のジローラモ・リアーリオが暗殺されて自分も囚われの身となった。
 それでも、重要な城塞は忠実な家臣がまだ明け渡さないで守っていた。
 そのとき、カテリーナは、「自分の子供たちをここに置いてゆくから、城塞に説得に行く」といってその城塞に逃れていった。
 まさか、自分の子供を見殺しにするはずはないと思っている陰謀者軍は城塞の下に泣き喚く子供たちを連れて行って「降伏しろ」と言ったそうだ。
そこで、カテリーナは
 やおら。スカートのすそをめくって叫んだ。
 「何たる馬鹿者よ。私はこれであと何人だって子供ぐらい作れるのを知らないのか。」
 このときカテリーナは25歳。
 そうこうするうちに、ミラノからの援軍がやってきて、陰謀者軍は不決断もあり逃走してしまった。そのミラノ軍に対して、カテリーナは一歩もひかず。フォルリの街に入れずに追い返した。
 これは、当時の勝利軍は戦利品を稼ぐのが当たり前なので、軍を街に入れれば、略奪が始まるのは当然だったためということだ。
 その10年ほど後、チェーザレボルジアとの戦いが始まる。イーモラはあっさりとられたが、カテリーナの住むフォルリは25日間戦ってのち開城された。
 カテリーナはその後ローマへ連行されそして、フィレンツェへ軟禁状態になる。
 チェーザレの没落後返ってくるかと思ったフォルリ、イーモラもローマ教皇領となって戻らずじまい。最後は、不運で終わったようなカテリーナではあるが、子供のジョバンニはその後『黒隊のジョバンニ』としてときの人となりまたその子のコシモはトスカーナ大公国の初代大公であり、その血統はヨーロッパの王室に引き継がれていく。

 この話でも人の幸福ってなんだろうかと考えさせられる。

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ルネサンスの女たち 第2話ルクレツィア・ボルジア

2007-10-17-Wed-21:46
 昨日に続き『ルネサンスの女たち』第2話ルクレツィア・ボルジアの話。

 第1話のイザベッラが太陽ならルクレツィアは月。七生さんが言われているように、親兄弟が特別な人でなければ、ただの女。それなのに一話の主人公になるのは、「周りの人間を書くために必要な女だから。」となんとも奇妙な話だ。

 周りの人々の波乱万丈からするとルクレツィアは平凡に見えてしまう。しかし、現法王の娘、時代の寵児チェーザレボルジアを兄に持ってまさに時代に翻弄された一生だった。

 変な表現だが、イザベッラはサーフィンで時代の波に乗り波をスイスイと渡り歩いたという感じだが、ルクレツィアは小船で大波の中を何とか難破せずに航海しているような感じを受けた。
 そうはいっても政略結婚3度、三度目の結婚相手は第1話のイザベッラの実家エステ家のイザベッラの弟のアルフォンソ。アルフォンソは大らかというかいい加減というかあまり気にしないタイプだったらしい。義理の姉であるイザベッラの旦那のフランチェスコ・ゴンザーガと不倫関係になるが、姉も気位の高い人だからあまり騒がないし、夫のアルフォンソも大らかで、それほど気にしない。実家のボルジア家の没落にあっても、その後は穏やか?に暮らしている。
 結局ルクレツィアは死ぬまでお嬢様でいられたことが幸せだった。
 七生さんが言っているように、時代を説明するために必要な女性ということで、1話のイザベッラと比較するためにあるような話ではある。


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ルネサンスの女たち イザベッラ・デステ

2007-10-16-Tue-23:50
 今まで何度か塩野七生の話を取り上げてきたが、これから書評を交えながらひとつずつ紹介していこうと思う。どれを一番最初にするか悩むが、やはり女史の処女作でもある『ルネサンスの女たち』にしようと思う。

 まず、このタイトル、塩野ファンでなければ本屋に並んでいても絶対立ち読みもしなかっただろうと思う。
 あまりにも古典的だし、男性が読もうとはとても思われないタイトルだ。
 しかし中身は男性が読んでも女性が読んでも面白いと思う。なんといっても歴史嫌いの家のかみさんも面白いといって読んだ。もちろん面白いといってもゲラゲラ笑うタイプではない。
 文庫本で400ページほど。西暦1500年前後に生きた4人の女性イザベッラ・デステ、ルクレッツア・ボルジア、カテリーナ・スフォルツァ、カテリーナ・コルネールについてそれぞれ書かれた本で、それぞれ100ページ位ずつ、さらっと読むにはちょうどいい。ほとんどの日本人にはなじみのない名前であるが。

 まずは、イザベッラ・デステ。
 この人の名は聞いたことがある人もいるかもしれない。女性でありながらルネッサンス芸術のパトロン的な役割を演じ、良妻賢母みたいに言われている人。七生さんの筆ではこの人の生き方がまた生き生きと輝いて描かれている。単にサロンのマダムではなく時代に翻弄されながらも、人間として、女として成長し、老いてゆく姿がリアルに書かれている。『講談師見てきたような嘘を言う』でなく小説家は間近で見たものを描写するように読者を500年前のイタリアに引きずりこんでしまうような感じだ。
 いずれにしても政略結婚ではあるが、ほんの1月の違いで、マントバへ嫁入りしたイザベラ、そのイザベラのかわりに大都市ミラノのスフォルツァ家に嫁にいった妹のベアトリーチェ。うらやましがるイザベラ。
 しかし、運命の悪戯かベアトリーチェは数年でなくなってしまい、スフォルツァ家も没落してゆく。
 そんななか、旦那のマントバ候がベネチアの捕虜になってしまう。周りから白い目で見られ、当の旦那からも裏切り者呼ばわりされても、マントバを守り抜こうとし、結果、時間はかかっても大国の利害のバランスをとりながら夫を取り戻したところなどは、それぞれの心理描写も含めて非常におもしろい。
 また、1527年のローマ略奪のときには守備側としてローマに在住していました。それは幸福とはとてもいえないような生死紙一重の状態。食料が底を突きそうな籠城のなかにあって、金持ち特有の我侭、物を独り占めするようなこともなく気丈に振舞ったということで、スポットライトを浴びるために生きているような人なんです。
 こんな人生は、一般の人と重ね合わせることも出来ないし、同じような生き方をしようとも思わないと思うが、現実の世界では味わうことの出来ない虚構を虚構とわかっていながら感情移入していくのが心地いいんだな。
 歴史物なので、地図と年表のようなものがないと理解しにくいこともあるが、すばらしい仕上がりだと思う。いまから40年くらい前の作品だが、決して古さを感じさせない。
 現在は、文庫本は売っていない(道楽人は文庫本の方が好きなので中古をネットで購入した)が、新潮社から塩野七生ルネッサンス著作集として販売されている中のひとつ。

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訪問販売

2007-10-15-Mon-20:49
先日我が家に、へんな訪問販売が来た。
道楽人は留守していて、ばあさんとかみさん二人だった。
家相、手相、などをみるというものだったらしい。
さすがに商売人で、「とておもごりっぱなおかあさま」「とてもきれいなお嫁様」とか

「ただいま無料で手相を見て差し上げます」 とか。
さすがに、我が家の家族はできている。
販売員「水周りの配置でお嫁さんの体調にも影響がありますから」
かみさん「いつもみずみずしくいられるので体調もばんぜんですわ。」
ばあさん「最近は、からだだけでなくって肝っ玉もふとくなってきているからな」

販売員の言葉が詰まった。
それでも頑張って

販売員「お母様がご病気になられたらたいへんですものね」
かみさん「そうなればコロッといってもらえるといいんですけどね」

それで退散していったそうな。

道楽人夫婦にも新婚時代はあった。
結婚して数ヶ月のころ、高級掃除機の販売に来て、30万円の掃除機を売りつけられそうになって、仕事場へ電話をかかて買っていいかということだった。
「夜家にオレが帰ってからもう一度営業に来い」と販売員にいったらその後は販売に来なかった。なんてこともあったのに。
もうオレの出番はなくなってしまって、出番どころかいる場所も確保するのが難しくなっている。数年後にはどうなるんだろう?

1円で買えるもの

2007-10-14-Sun-21:21
DSC00278.jpg1円領収書ということで、話題になっている。
1円から領収書が必要というのは当たり前の話ではあるが、
さて、1円で買えるものっていまどきあるかな?

買っちゃいました。
中古本 『ドキュメント昭和』 各1円
このシリーズの2番 「魔都上海十万の日本人」という文庫本をもっていたので、そのほかの本をアマゾンで探していたら、中古本があって、1円でした。
1から9内2番抜きの8冊で8円。

文庫本がくると思っていたら、単行本でした。
道楽人的には、文庫のほうが寝転がって見れる文庫が好きなんですが、単行本は写真などもきれいに写っているのでこれもいいかと思っています。

しかーーし。
送料が各350円。
まとめて買うんだから運賃割引でもよさそうだけれども、割引はなし。
合計 2808円

中古だけれども、しかもきれいな状態でした。

中身はまだ読んでいないけれどもこれからじっくり読んでみよう。

政治家とお金の問題で今は大変だけれど、あまり細かいことを突付いても意味がないと思うのは、少数派になっているのかもしれない。
事務的なことや、小ずるいことを考えるのに一所懸命になって、本当にやらなければならないことが二の次になっていては困ったことになる。
政治家がみな小粒になる方向に進んでいるのは残念な気がする。

とり残された晋三さん

2007-10-13-Sat-10:30
田舎道を車で走っていたら見つけました。
周りの田んぼはすっかり稲刈りが終わりさっぱりしていました。

そのなかで、崖っぷち(それほどではないが)に立たされて、なんか、ボーーっとして少し上を見ている晋三さん
「成長を実感に」というキャッチだが、
このボーーっとして不安そうな表情はなんだろう。
周りからのプレッシャーに押し潰されないよう頑張っているときだったんだろうな。

下の赤っぽいほうは「成長で活力」とか書いてあるが、薄ぼけてしまっている。
いずれにしても、疲れきっている感じは否めない。
政界の中央からはすでに消えているが、このポスターでは薄ボケ程度でまだ残っている。

それにしても田舎の道路わきでまだ働かせるのはかわいそうじゃない。
稲刈りも終わったことだし、そろそろお役ごめんにしてくださいな。
それが無理なら両面防御は無理だからせめて片面だけにしてやってください。
田舎の自民党さん。

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Wa とフレンチのコラボ

2007-10-11-Thu-23:04
先日の休みにかみさんの妹が山形から遊びに来たので、久々にフレンチなんぞと奮発してみた。
フレンチといっても、和風フレンチとちょっと変わっている。
しょっぱなから和と洋のコラボレーション。
前菜はかつおのたたき。
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パンはガーリックバターで焼いてありとても香ばしい。 

みんなおなかがすいていたので、出てきたらすぐ食べてなくなってしまった。
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パンの次は、お膳。
ナイフとフォークに挟まれたお膳はちょっとへんなかんじだが、もちろん箸で食べる。

どこかの温泉旅館に泊まったとき出てきそうな感じ。
左手前に白っぽく見えるもみじは、クリームチーズ
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シーフードサラダ。
鮭、ホタテなどなど
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魚系メインディッシュはえびとスズキかな?
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ふつうのメインディッシュはこちらのビーフシチューらしい。
スプーンがないので、ちょっと食べにくかった。
 パンはこのときまでとっておくべきだったか。パンを追加するほど食べられないし。パンが出たときひとこと教えてよ。

これって常識?
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デザートは飴細工
この飴は曲者
そのまま食べてしまうと口の中でささってしまう。
ぎゅっとつぶして小さな塊にしてから口の中に入れて、しばらく口を動かさないで暖めて飴をとかして、食べるようにする。
おしゃれだけれども、やめてくれよー

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どちらかというと魚コースのほうがよかったかな。
あまり気取らないので、ワインではなく日本酒でいただいた。
少し甘口のような感じだったが、なかなかよかったよ。

会津若松 レストラン HIRANO'S

東京の本と弁当

2007-10-10-Wed-16:54
昨日は仕事のちょっとしたトラブルで東京に出張に行った。
夜遅くまで仕事をしてしまったので今日は少し疲れ気味。

池袋のJUNKUDOに久々にいってみた。やはり、大きい書店だ。
書店だから蔵書数とは言わないと思うが、置いてある本の数が半端でない。
最近、新書系が気になっていたものだから、まず新書のコーナーに行ってみた。
岩波新書だけでも幅10Mくらいはある。冊数にしたらどのくらいだろう。見当が付かない。
普段、地元の大きな書店でも岩波新書だけだったら3〜400冊くらいだろうとおもうが、
JUNKUDOでは少なく見ても2000冊ぐらいはありそうだ。
しかも、出版社の数もいっぱい。新書系だけでも何万冊もある。
そこで、目移りして結局新書は買ってこなかった。

買ってきたのは、七生さんの本。ほとんど読んだつもりになっていたが、まだよんでないものがあった。「ルネッサンスとはなんだったのか」それと、「神の代理人」は文庫を中古でかってあり、読み始めているのだが、どうしても読み進まない。というのも20年以上前の本なので、フォントが小さい。とくにこの本は小さい字で、同系列の中公文庫の文字より一段と小さいのだ。
それで、今回、新潮から出ている単行本をかってしまった。(としか?)

でも結局購入するのは、田舎でも探せばありそうな本になってしまう。
歴史の専門書などは、ぱらぱらとめくって眺めているだけ。
さすがに、敷居を感じてしまう。

ところで、
帰りに新幹線のなかで、弁当を食べようとおもって、デパ地下で購入した『吹寄せちらし』
525円なり。
彩り鮮やかでなかなかよかったですよ。イカ、ほたて、かに、とぴっ子(?)、まぐろなどのほか、レンコン、きゅうりなどいろいろで味もグッドでした。
生もの系の弁当は3000円、5000円なんてのもいっぱいでていましたが、
それからみると、お買い得

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「かに」はほとんどかまぼこですけど、ほんの少しだけ本物らしきものが入っているところが良心的です。

水難事故

2007-10-08-Mon-15:53
ぎゃーーーお

携帯を洗濯してしまった。

今年月に機種変更したばかりだったのに。

ドライヤーで乾かしてスイッチを入れてみたがまったく無反応。

まだ、6ヶ月もたっていない。
Docomo703iμ で、あまり機能はないが、超薄型で気に入っていた。

あきらめて、ショップにいった。修理ですと4万ほどかかります。

がーーーーーん。

購入6ヶ月以内なので、同型同色で16000円ということで、
いままでと同じもので、交換した。
MicroSDは大丈夫だったが、バックアップはとっていなかった。

随分前に全データバックアップというのをSDにとっておいたと思っていたが、
消してしまっていたようで、データは全て消えてしまった。
まさに水の泡と消え去った。

まあ、これから生まれ変わったつもりで再出発だ。

LG

2007-10-03-Wed-22:29
最近、『円天』とかで騒がしく聞こえてくる。
そういえば、かみさんの実家にいったとき、LGなんとかという歯磨きがあったような気がした。
それをかみさんに言ったところすぐ実家に電話した。
「もしもし、。。。ねずみ小僧の歯磨きつかっていないか?」
脇で聞いていた道楽人は思わず噴出してしまった。
「話が通じないようなので、『ねずみ小僧』じゃなくて『ねずみ講』だろう」と教えてやった。
(ネズミ講でもないだろうし、どちらかといえばマルチ商法っぽい。さらに、出資法違反、詐欺。)
なんとか話が通じたらしい。

LGの歯磨きが本当にあったかどうかは分からないが、関係ないことはわかったようで、何より。

家の中では、娘が「うちは、お金持ちというほどじゃないけど、貧乏でもないからちょうどいいね。」
とか言っていた。
ばあさんが、「そんなことないよ。かあさんは銀行にいくとたっぷりあるといってたよ。」
かみさんは、「なんてったて、ばあちゃんが一番のお金持ち。たんまりあるんだよ。」
むすめ「つまり、お金がないのは父さんだけということだね。」
ガクッ。

そんなのはどでもいい。
余分な金がなければ、引っかかることもないから安心だ。

陶器ができた

2007-10-01-Mon-21:58
DSC00263.jpg
6月につくった陶器が焼き上がってきた。
このところ毎年、年に一回だけだが、陶器作りをしている。
今年は、ちょっと力をいてれ、というか欲張って大きいものを作ってみた。
なかなかの出来で、力強い感じに仕上がってる。
そこで、香炉がおいてあったのを退けて床の間においてみた。

しばらくして、かみさんが帰ってきたとき、「あれをみよ」と指差してみた。
すると、
「えーー随分うまくなったじゃない」
「なにを書いたの?」
えっ!! 書いたの?
話が通じない。
何を勘違いしたか掛け軸を見てそれが道楽人が書いたものと勘違いしたらしい。
そんなわけないだろう。
なにしろ、普段から子供の提出物で、親の書く欄があると、お互いに自分が書くという。
特に通知票の保護者記入欄はお互いに相手には書かせたくないと思っている。
なにしろ、字が下手なのだ。

普通の家庭では、母は父に、父は母に書面の記入を依頼するものだと思うが、家では相手には書かせたくない。なぜか。それは、相手は自分より悪筆だと思っているので、先生に下手な字の親と知られたくないのだ。
そんなんなのに 筆字を掛け軸にするわけがないだろう。

そうして、指先の指し示すものが下に置いてある陶器と分かったとき、困ったような顔をしている。
置き場所がない。
「しばらくそこに置いといたほうがいいね。」
といかにも邪魔そうな口ぶり。

というわけで、道楽人作の器は床の間に置いてある。(飾っているわけではない)
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