ローマ人の物語 X すべての道はローマに通ず その1
2008-02-06-Wed-23:51
塩野七生シリーズ
ローマ人の物語
◆X すべての道はローマに通ず (文庫 27 上)
ついに、ローマ人の物語にたどり着きました。
なぜ、この巻を最初に取り上げるかというと、道楽人がこの巻を最初に読んだからでした。
2006年の秋、道楽人が出張で東京に行くとき、普段は、何か文庫本を一冊持って行くところが、忘れてしまって、仕方ないと思いながらも、駅のキヨスクで本棚を見ていた。すると、この文庫「ローマ人の物語27」を見つけて購入、電車の中で読み始めました。以前から書店の文庫のところに並んでいた紫色のシリーズは気になっていたが、買って読むところまでは行きませんでした。そなんことが、きっかけで、その時から塩野七生さんにはまる事になったのでした。
実は、道楽人は学生時代、土木専攻だったので、ごく普通の読者よりもこの巻の内容に興味があるのかもしれないし、理解もしやすかったのかとも思う。
この27、28はローマ人の物語の中でも特別な巻で、もし「ローマ人の物語」からこのX巻が抜けたとしても不自然ではないはずです。
このローマ人の物語を読んでない人には、番号がごちゃ混ぜでわかりにくいと思うので先に説明しておきます。
単行本では全15巻。1993年にI巻を世に出してから2007年のXV巻まで毎年1巻ずつ書き上げてきたものです。1巻から15巻と言わずにI巻からXV巻と言うのは、もちろん「ローマ」だからでしょう。
それで、文庫として発行するときには、単行本の一つの巻を2から4冊に分冊してあります。
そのため、
単行本 I = 文庫1,2
II = 文庫3,4,5
という具合で、X巻は27,28となっているのです。なぜこうなったのかは、文庫の1の始めに、ちゃんと理由が書いてありました。
と、前置きが長くなったのも、塩野さんを真似て。
さて、これから、この本の紹介と、感想に入りたいと思う。
本を開くと、いきなり、塩野さんの『言い訳』が始まる。
面白くない、つまらない。の連発で、塩野作品を読むのは初めてだったので、『何じゃこれ』と言うのが第一印象だった。
次に、この本、文庫なのに巻頭に30ページほどカラー写真が贅沢に入っている。
そして、その写真の最初が両側の笠松に囲まれたアッピア街道の写真であった。
また、音楽の話になるが、20代のころだと思うが、何処かで聞いたレスピーギ「ローマの松」が一度聞いて大好きになってから毎日のように聞いていたこともあった。その当時は、イタリアにも松があるのか?とか思いながらもどの様な松だかも知らず、アッピア街道を戦場に向けて行進する兵士たちを表現するような勇壮な曲調が好きだった。
それで、その写真を見ながら、頭の中で音楽が甦り始めていた。
こんなベースがあったものだからスッと引き込まれていってしまったし、大ファンになってしまったのでした。
上巻では主に、ローマ街道と橋についての話。
****
すべての道はローマに通ず、よりも、すべての道はローマより発す、としたほうが適切ではないかと思うくらいだが、それはローマが帝国の心臓であったからだ。そして心臓から肉体のすみずみまで血液を送り出す動脈がローマ街道だった。
****
七生さんは、ローマ人はインフラストラクチャという現代人にとって欠かすことのできない物の必要性を発見した人々と言っている。
道路は自然発生的に出来るものであるが、高速道路は自然発生ではできないし、作った後も機能をフルに生かすには十分なメンテナンスも必要である。
今までにないものを作る想像力、それを一般化してあちこちで作るシステムを構築すること、そして、作った後を管理するシステムの構築と。どれをとっても2000年の時の開きがあるとは思えない。
--- 塩野七生目次へ ---
ローマ人の物語
◆X すべての道はローマに通ず (文庫 27 上)
ついに、ローマ人の物語にたどり着きました。
なぜ、この巻を最初に取り上げるかというと、道楽人がこの巻を最初に読んだからでした。
2006年の秋、道楽人が出張で東京に行くとき、普段は、何か文庫本を一冊持って行くところが、忘れてしまって、仕方ないと思いながらも、駅のキヨスクで本棚を見ていた。すると、この文庫「ローマ人の物語27」を見つけて購入、電車の中で読み始めました。以前から書店の文庫のところに並んでいた紫色のシリーズは気になっていたが、買って読むところまでは行きませんでした。そなんことが、きっかけで、その時から塩野七生さんにはまる事になったのでした。
実は、道楽人は学生時代、土木専攻だったので、ごく普通の読者よりもこの巻の内容に興味があるのかもしれないし、理解もしやすかったのかとも思う。
この27、28はローマ人の物語の中でも特別な巻で、もし「ローマ人の物語」からこのX巻が抜けたとしても不自然ではないはずです。
このローマ人の物語を読んでない人には、番号がごちゃ混ぜでわかりにくいと思うので先に説明しておきます。
単行本では全15巻。1993年にI巻を世に出してから2007年のXV巻まで毎年1巻ずつ書き上げてきたものです。1巻から15巻と言わずにI巻からXV巻と言うのは、もちろん「ローマ」だからでしょう。
それで、文庫として発行するときには、単行本の一つの巻を2から4冊に分冊してあります。
そのため、
単行本 I = 文庫1,2
II = 文庫3,4,5
という具合で、X巻は27,28となっているのです。なぜこうなったのかは、文庫の1の始めに、ちゃんと理由が書いてありました。
と、前置きが長くなったのも、塩野さんを真似て。
さて、これから、この本の紹介と、感想に入りたいと思う。
本を開くと、いきなり、塩野さんの『言い訳』が始まる。
面白くない、つまらない。の連発で、塩野作品を読むのは初めてだったので、『何じゃこれ』と言うのが第一印象だった。
次に、この本、文庫なのに巻頭に30ページほどカラー写真が贅沢に入っている。
そして、その写真の最初が両側の笠松に囲まれたアッピア街道の写真であった。
また、音楽の話になるが、20代のころだと思うが、何処かで聞いたレスピーギ「ローマの松」が一度聞いて大好きになってから毎日のように聞いていたこともあった。その当時は、イタリアにも松があるのか?とか思いながらもどの様な松だかも知らず、アッピア街道を戦場に向けて行進する兵士たちを表現するような勇壮な曲調が好きだった。
それで、その写真を見ながら、頭の中で音楽が甦り始めていた。
こんなベースがあったものだからスッと引き込まれていってしまったし、大ファンになってしまったのでした。
上巻では主に、ローマ街道と橋についての話。
****
すべての道はローマに通ず、よりも、すべての道はローマより発す、としたほうが適切ではないかと思うくらいだが、それはローマが帝国の心臓であったからだ。そして心臓から肉体のすみずみまで血液を送り出す動脈がローマ街道だった。
****
七生さんは、ローマ人はインフラストラクチャという現代人にとって欠かすことのできない物の必要性を発見した人々と言っている。
道路は自然発生的に出来るものであるが、高速道路は自然発生ではできないし、作った後も機能をフルに生かすには十分なメンテナンスも必要である。
今までにないものを作る想像力、それを一般化してあちこちで作るシステムを構築すること、そして、作った後を管理するシステムの構築と。どれをとっても2000年の時の開きがあるとは思えない。
海の都の物語 下 その5 ヴィヴァルディの世紀、ヴェネツィアの死
2008-01-31-Thu-23:54
塩野七生シリーズ
海の都の物語 下 その5
◆ヴィヴァルディの世紀、ヴェネツィアの死
ヴィヴァルディといえば『タラッタッタッタララー、タララッタッタタララー、タララッタッターラーラー』の『四季、春』を思い出す。
今日、仕事をしているとき、同級生のE君とアイーダの話になって、どんな曲だったっけ。誰でも知っている曲のはずなのに思い出せない。と、仕事そっちのけで話に花咲いてしまった。しばらく考えて、そうそう、「たんたーん、たたたたったった、たたたたーたた、たったたーたた、たったたーたた、たたたたー」だ。
オペラは、見たこともないし、好きでもないが、この曲は覚えている。いい年した男ふたりで、身振り手振りつきで、アイーダの凱旋行進曲をハモってしまった。音楽はやっぱりいいもんだ。
アイーダのヴェルディは150年も時代が下った時の人だが、ヴィヴァルディや、それ以前から、文化の先進地はやはりイタリアだった。
ところで、この本を読むまで、道楽人がヴェネツィアの貴族の生き方として思っていたのは、イギリス貴族とゴッチャになっていたのかも知れないが、都会の金融で稼ぎ、田園でのんびり暮らす。と思っていた。それが、17世紀までのヴェネツィアはまったく違っていた。道楽人が思っていたヴェネツィアが現れたのは、この「ヴィヴァルディの世紀」からだった。
「貴族的」という羨ましいような暮らしをしていれば、面倒な政治や、商売のことなどどうでもよくなってきてしまうのだろう。政治を担うべき人のやる気がそがれてきてしまったと言う事だと思う。
ベネツィアの死ではナポレオンとのやり取りを時間を追って詳細に書かれている。
ナポレオンの揺さぶりに対して、老練に肩透かしをしているつもりだったが、そのようなワザはまったく通用しない時代になってしまった。
**引用**
正面にティントレットの大壁画、天井にはヴェロネーゼ描くルネサンス期の傑作、周囲は、これまたヴェネツィア派の絵画を総動員して描かせた、共和国の数々の栄光の場面に囲まれた広い議場には、沈痛な空気だけが支配していた。その中で、投票だけが、やり慣れた機械的な正確さで進む。結果は「平和」に賛成のもの五百九十、反対のもの7、態度未決定14であった。
しかし、この結果の出る少し前、ナポレオンはヴェネツィア共和国に対し、公式に宣戦を布告していたのである。
******
「二大帝国の谷間で」の最初に出てきた言葉、
「強国とは、戦争も平和も、思いのままになる国家のことであります。わがヴェネツィア共和国はもはや、そのような立場にないことを認めるしかありません」
(16世紀の外交官フランチェスコ・ソランツォ)
この言葉の究極の状態になってしまった。
宣戦布告を受けて、ヴェネツィアは一戦も交えることなくナポレオンに脅しに屈してしまう。
1797年5月12日、共和制を廃止し、民主制の政体に変えると宣言した。
ソフトランディングというか、一国の盛衰を人の命にたとえれば老衰に違いない。天寿を全うしたということか。
一国の栄枯盛衰を『政治の技術』をメインに経済、戦争、文化と織りあげて行く手法は道楽人にとってとても新鮮だった。
日本という国の歴史にも戦争は沢山あったが、ヨーロッパに比べれば、本当に平和な歴史だと改めて知ることができる。
明治以降戦争が多くなったのは、欧米化のためであることも違いない。
話が散漫になってしまい何を言いたいのかわからなくなってしまったが、(稚拙な感想だが)一番感じたことは、ワタシが現代日本に住んでいることの幸せを改めて認識したことでした。
当初、上下それぞれ一つずつ書くつもりだったのが、3+5と合計8つも書いてしまった。
だらだらと書いてきたが、これで、『海の都の物語』を閉じる。

カナレット (Canaletto)
フランス大使の到着 1740作
史実は1726年
パラッツィオデュカーレの上の雲が真っ黒なのは57年後のベネツィアを予想していたのでしょうか。
--- 塩野七生目次へ ---
海の都の物語 下 その5
◆ヴィヴァルディの世紀、ヴェネツィアの死
ヴィヴァルディといえば『タラッタッタッタララー、タララッタッタタララー、タララッタッターラーラー』の『四季、春』を思い出す。
今日、仕事をしているとき、同級生のE君とアイーダの話になって、どんな曲だったっけ。誰でも知っている曲のはずなのに思い出せない。と、仕事そっちのけで話に花咲いてしまった。しばらく考えて、そうそう、「たんたーん、たたたたったった、たたたたーたた、たったたーたた、たったたーたた、たたたたー」だ。
オペラは、見たこともないし、好きでもないが、この曲は覚えている。いい年した男ふたりで、身振り手振りつきで、アイーダの凱旋行進曲をハモってしまった。音楽はやっぱりいいもんだ。
アイーダのヴェルディは150年も時代が下った時の人だが、ヴィヴァルディや、それ以前から、文化の先進地はやはりイタリアだった。
ところで、この本を読むまで、道楽人がヴェネツィアの貴族の生き方として思っていたのは、イギリス貴族とゴッチャになっていたのかも知れないが、都会の金融で稼ぎ、田園でのんびり暮らす。と思っていた。それが、17世紀までのヴェネツィアはまったく違っていた。道楽人が思っていたヴェネツィアが現れたのは、この「ヴィヴァルディの世紀」からだった。
「貴族的」という羨ましいような暮らしをしていれば、面倒な政治や、商売のことなどどうでもよくなってきてしまうのだろう。政治を担うべき人のやる気がそがれてきてしまったと言う事だと思う。
ベネツィアの死ではナポレオンとのやり取りを時間を追って詳細に書かれている。
ナポレオンの揺さぶりに対して、老練に肩透かしをしているつもりだったが、そのようなワザはまったく通用しない時代になってしまった。
**引用**
正面にティントレットの大壁画、天井にはヴェロネーゼ描くルネサンス期の傑作、周囲は、これまたヴェネツィア派の絵画を総動員して描かせた、共和国の数々の栄光の場面に囲まれた広い議場には、沈痛な空気だけが支配していた。その中で、投票だけが、やり慣れた機械的な正確さで進む。結果は「平和」に賛成のもの五百九十、反対のもの7、態度未決定14であった。
しかし、この結果の出る少し前、ナポレオンはヴェネツィア共和国に対し、公式に宣戦を布告していたのである。
******
「二大帝国の谷間で」の最初に出てきた言葉、
「強国とは、戦争も平和も、思いのままになる国家のことであります。わがヴェネツィア共和国はもはや、そのような立場にないことを認めるしかありません」
(16世紀の外交官フランチェスコ・ソランツォ)
この言葉の究極の状態になってしまった。
宣戦布告を受けて、ヴェネツィアは一戦も交えることなくナポレオンに脅しに屈してしまう。
1797年5月12日、共和制を廃止し、民主制の政体に変えると宣言した。
ソフトランディングというか、一国の盛衰を人の命にたとえれば老衰に違いない。天寿を全うしたということか。
一国の栄枯盛衰を『政治の技術』をメインに経済、戦争、文化と織りあげて行く手法は道楽人にとってとても新鮮だった。
日本という国の歴史にも戦争は沢山あったが、ヨーロッパに比べれば、本当に平和な歴史だと改めて知ることができる。
明治以降戦争が多くなったのは、欧米化のためであることも違いない。
話が散漫になってしまい何を言いたいのかわからなくなってしまったが、(稚拙な感想だが)一番感じたことは、ワタシが現代日本に住んでいることの幸せを改めて認識したことでした。
当初、上下それぞれ一つずつ書くつもりだったのが、3+5と合計8つも書いてしまった。
だらだらと書いてきたが、これで、『海の都の物語』を閉じる。

カナレット (Canaletto)
フランス大使の到着 1740作
史実は1726年
パラッツィオデュカーレの上の雲が真っ黒なのは57年後のベネツィアを予想していたのでしょうか。
海の都の物語 下 その4 第11話 二大帝国の谷間で
2008-01-21-Mon-23:34
塩野七生シリーズ
海の都の物語 下 その4
◆第11話 二大帝国の谷間で
下巻に入ってから全ての章について書いてしまったようだが、どうしても抜きたくないところばっかりだったのでついつい書いてしまった。
この『二大帝国の谷間で』は16世紀のヴェネツィア外交官の一文から始まる。
「強国とは、戦争も平和も思いのままになる国家のことであります。わがヴェネツィア共和国は、もはやそのような立場にないことを認めるしかありません。」
時の移り変わりは、現代はものすごく速く、近代以前は極ゆっくりと動いていたと思っていた。たしかに、18世紀になるまで馬より早い乗り物が出てこなかったわけだが、世界情勢の移り変わりは相当にあったに違いない。それも、かなりダイナミックに。
長い中世を越えてルネサンス以降になるとイタリア社会情勢は大きくうねりだす。
ローマ以北はそれまで、小競り合いはあったものの外国の侵略からはなんとかこらえられていたのに、サッコディローマ以降はガラガラと音お立てて変わってゆく。
「ローマ以北は」、と言ったのは、以前から南はロンゴバルド、ノルマン、フランスやスペインなど次々と征服者が入れ替わり立ち代りしたためなんだろう。
ちょっと話が脱線するが、今のナポリの状況は中世から続く『自分たちで治めることのできないナポリ人まさにここにあり。』っていう感じですね。
ゴミが町中に置き去りにされるまで、解決策を打てないなんて。
おっと、『まで』でなく、そうなっても解決策が打てないなんて。
と、この話は別枠で話しましょう。
脱線ついでに、もうひとつ、この章の時代は塩野七生面目躍如。
ルネサンス3部作や戦記3部作、チェーザレボルジア、ルネサンスの女たち、マキャベリなどなど。七生さんは沢山書いている。
アンドレアグリッティー、アルビーゼグリッティー親子の話は「緋色のヴェネツィア」にも出てくるが、ヴェネツィアの元首とトルコの重臣となった子というなんともスキャンダラスな史実があったりした。
とにかく、経済は好調なのに国際情勢からすると、ヴェネツィアはどんどん窮地に立ってくる。そんな様子を次の章の『地中海最後の砦』とあわせて淡々と語っていく。
ローマ人の物語11巻「終わりの始まり」というタイトルがこちらにも当てはまるんじゃないかと思うような、いくら足掻いても、舵をどちらに向けても解決策はない。
しかし、ヴェネツィア人としてのアイデンティティを最大限に示すことによってできるだけ健康に延命しているということを示しているのかな。
七生さんはヴェネツィアが歴史上どこどこのどの時代と似ているとは言わない。
また、決して日本の姿と重ね合わせることはしない。
この『海の都の物語』が世に出たころは多くの日本人が、現代日本とこの物語を重ね合わせて見ていたそうだ。残念ながら、この書物の刊行から19年たった現代の日本が、ヴェネツィアではなくナポリの状況に似てきていると感じるのは道楽人だけであろうか。
--- 塩野七生目次へ ---
海の都の物語 下 その4
◆第11話 二大帝国の谷間で
下巻に入ってから全ての章について書いてしまったようだが、どうしても抜きたくないところばっかりだったのでついつい書いてしまった。
この『二大帝国の谷間で』は16世紀のヴェネツィア外交官の一文から始まる。
「強国とは、戦争も平和も思いのままになる国家のことであります。わがヴェネツィア共和国は、もはやそのような立場にないことを認めるしかありません。」
時の移り変わりは、現代はものすごく速く、近代以前は極ゆっくりと動いていたと思っていた。たしかに、18世紀になるまで馬より早い乗り物が出てこなかったわけだが、世界情勢の移り変わりは相当にあったに違いない。それも、かなりダイナミックに。
長い中世を越えてルネサンス以降になるとイタリア社会情勢は大きくうねりだす。
ローマ以北はそれまで、小競り合いはあったものの外国の侵略からはなんとかこらえられていたのに、サッコディローマ以降はガラガラと音お立てて変わってゆく。
「ローマ以北は」、と言ったのは、以前から南はロンゴバルド、ノルマン、フランスやスペインなど次々と征服者が入れ替わり立ち代りしたためなんだろう。
ちょっと話が脱線するが、今のナポリの状況は中世から続く『自分たちで治めることのできないナポリ人まさにここにあり。』っていう感じですね。
ゴミが町中に置き去りにされるまで、解決策を打てないなんて。
おっと、『まで』でなく、そうなっても解決策が打てないなんて。
と、この話は別枠で話しましょう。
脱線ついでに、もうひとつ、この章の時代は塩野七生面目躍如。
ルネサンス3部作や戦記3部作、チェーザレボルジア、ルネサンスの女たち、マキャベリなどなど。七生さんは沢山書いている。
アンドレアグリッティー、アルビーゼグリッティー親子の話は「緋色のヴェネツィア」にも出てくるが、ヴェネツィアの元首とトルコの重臣となった子というなんともスキャンダラスな史実があったりした。
![]() ティツィアーノ・ヴェチェッリオ作 (TIZIANO Vecellio) アンドレア グリッティ 肖像画 1545年 |
![]() ティツィアーノ・ヴェチェッリオ作 (TIZIANO Vecellio) St Christopher 1524年 デュカーレ宮殿のフレスコ画 |
とにかく、経済は好調なのに国際情勢からすると、ヴェネツィアはどんどん窮地に立ってくる。そんな様子を次の章の『地中海最後の砦』とあわせて淡々と語っていく。
ローマ人の物語11巻「終わりの始まり」というタイトルがこちらにも当てはまるんじゃないかと思うような、いくら足掻いても、舵をどちらに向けても解決策はない。
しかし、ヴェネツィア人としてのアイデンティティを最大限に示すことによってできるだけ健康に延命しているということを示しているのかな。
七生さんはヴェネツィアが歴史上どこどこのどの時代と似ているとは言わない。
また、決して日本の姿と重ね合わせることはしない。
この『海の都の物語』が世に出たころは多くの日本人が、現代日本とこの物語を重ね合わせて見ていたそうだ。残念ながら、この書物の刊行から19年たった現代の日本が、ヴェネツィアではなくナポリの状況に似てきていると感じるのは道楽人だけであろうか。
海の都の物語 下 その3 第10話 大航海時代の挑戦
2008-01-15-Tue-07:00
塩野七生シリーズ
海の都の物語 下 その3
◆第10話 大航海時代の挑戦
道楽人がヴェネツィアと大航海時代と言って連想するのは、「大航海時代に乗り遅れたヴェネツィア」でそれがためにヴェネツィアは没落していった。と思っていた。
ところが、七生さんは違うと言う。
******
従来の歴史学者たちは、大航海時代の到来とトルコ帝国の強大をヴェネツィア衰退の2大要因としてきたが、香味料貿易の衰退でもわかるように、この二つはヴェネツィア経済にとって必ずしもマイナス要因として働いたのではなかった。
******
大航海時代の幕開けが1492のコロンブスのアメリカ発見や1499のバスコダガマの喜望峰回り航路の発見であった。
1479年トルコとの講和が成立して二十年ほどで東地中海交易をほぼ独占状態にしたヴェネツィアだった。
そこに舞込んだ喜望峰回り航路発見のニュースはヴェネツィア人にとっては相当ショックだったようだ。
当時、楽観派、悲観派それぞれいたらしいが、100年レベルでみれば、悲観派の大はずれだった。
物を運ぶには喜望峰回りはあまりにもリスクが高すぎたし、スペイン人もポルトガル人も商売下手だった。さらに、西洋の産業の発展、トルコの盛隆で需要の大きな拡大があって、ヴェネツィアの経済も16世紀に大きく発展し東西交易の主役はヴェネツィアが確固たる地位をしめていた。
さらに、交易危機に対応するために奨励したガラスや毛織物産業などの各種産業振興が大当たりでこれは、規模こそ小さくなったが今に続いている。
なぜヴェネツィアが外洋に出て行かなかったか。
==>出てゆく必要がなかったから。 それは、正しい判断だったが、それはまたヴェネツィアらしさを失っていくことにもなる。
もし出て行ったとしてもヴェネツィアらしさを失わなければ(領土欲を持たなければ)大西洋の覇権は持てなかったであろう。

Abraham Willaerts
A coastal scene with numerous figures on the shore, a Dutch man-o'war firing its cannon beyond
1633年
--- 塩野七生目次へ ---
海の都の物語 下 その3
◆第10話 大航海時代の挑戦
道楽人がヴェネツィアと大航海時代と言って連想するのは、「大航海時代に乗り遅れたヴェネツィア」でそれがためにヴェネツィアは没落していった。と思っていた。
ところが、七生さんは違うと言う。
******
従来の歴史学者たちは、大航海時代の到来とトルコ帝国の強大をヴェネツィア衰退の2大要因としてきたが、香味料貿易の衰退でもわかるように、この二つはヴェネツィア経済にとって必ずしもマイナス要因として働いたのではなかった。
******
大航海時代の幕開けが1492のコロンブスのアメリカ発見や1499のバスコダガマの喜望峰回り航路の発見であった。
1479年トルコとの講和が成立して二十年ほどで東地中海交易をほぼ独占状態にしたヴェネツィアだった。
そこに舞込んだ喜望峰回り航路発見のニュースはヴェネツィア人にとっては相当ショックだったようだ。
当時、楽観派、悲観派それぞれいたらしいが、100年レベルでみれば、悲観派の大はずれだった。
物を運ぶには喜望峰回りはあまりにもリスクが高すぎたし、スペイン人もポルトガル人も商売下手だった。さらに、西洋の産業の発展、トルコの盛隆で需要の大きな拡大があって、ヴェネツィアの経済も16世紀に大きく発展し東西交易の主役はヴェネツィアが確固たる地位をしめていた。
さらに、交易危機に対応するために奨励したガラスや毛織物産業などの各種産業振興が大当たりでこれは、規模こそ小さくなったが今に続いている。
なぜヴェネツィアが外洋に出て行かなかったか。
==>出てゆく必要がなかったから。 それは、正しい判断だったが、それはまたヴェネツィアらしさを失っていくことにもなる。
もし出て行ったとしてもヴェネツィアらしさを失わなければ(領土欲を持たなければ)大西洋の覇権は持てなかったであろう。

Abraham Willaerts
A coastal scene with numerous figures on the shore, a Dutch man-o'war firing its cannon beyond
1633年
海の都の物語 下 その2 聖地巡礼パック旅行
2008-01-09-Wed-23:38
塩野七生シリーズ
海の都の物語 下 その2
◆第9話 聖地巡礼パック旅行
海の都の物語は政治、戦争などがメインになっているので、どちらかというとテーマが重いかもしれない。その中でも、上巻の「ヴェネツィアの女」と同様に清涼飲料のような章でお気軽に読み進められる。
さて、聖地巡礼がパック旅行だったとはびっくり。
よく考えれば、初めての旅行で、しかも危険な敵地に行くわけだから案内人が必要なのは当たり前なのだが、5百年も6百年も前にトラベルエージェントなどよく考えたものだった。
しかも観光ガイドのようなものや、行けない人のため、せめて行った気分にさせてくれる旅行記など現代とまったく同じじゃないか。
物語はサント・ブラスカという35歳のミラノの公務員がヴェネツィアからの海路でイェルサレムに向かった旅行記をもとに書かれている。ほぼそっくり旅行記を載せていることもあって当時の様子がとてもよく読み取れるようになっている。
半年から1年がかりの大旅行で、休職中の仕事の補間と亡くなったときのための後継を手当てして行ったそうだ。(今のサラリーマンなら、戻ったときのデスクがないのでは?と不安になってしまう =笑=)
なかでも、道楽人が笑ってしまったのは、キリスト教の免罪システムだ。と言ったら、現在のキリスト教徒からお叱りを受けるかもしれないが、許してください。
人間は、生きていること自体が罪みたいなものだから、どうしても罪ポイントがかさんでしまう。それが、聖地巡礼をすると、どこどこを巡礼すると7年と40日、また、どこどこを巡礼すると完全免罪。とか。
イェルサレム巡礼の場合たいていひとつのポイントが7年と40日だそうだから、5箇所も回れば、35年くらいにはなるわけで、巡礼以降、戻ってから悪いことをしても許されるってか?
というか、完全免罪を1箇所巡礼すればそれでOKなはずだけれど多くの人は「折角遠路はるばるイェルサレムまで来たのだからあちこち回りたい」と思うのは当たり前ですね。
人間、普通に生きていれば必ず罪作りなことをしてしまうわけで、それに目をつけたキリスト教が、『免罪』というなんとも『うれしい』ご褒美を分けてやるわけだから良いシステムを作ったものです。
またさらに、それを利用して、ヴェネツィア人はパック旅行を商売にしたのだから『たのしい』ものでした。
とにかく、この章はたのしい。面白い。
それにしても、今の旅行はヨーロッパでもせいぜい2週間とかのあわただしい旅行しかできないのも寂しいものです。さらに、さらに2週間どころか1週間の休暇もなかなか取れないのが涙。。。。
ヤン・ファン・エイク(Jan van Eyck)
The Ghent Altarpiece: The Holy Pilgrims
1427-30
海の都の物語 上・下 中央公論社刊(中公文庫) 1989年・・・絶版
海の都の物語 上・下 (塩野七生ルネサンス著作集4,5) 新潮社刊 2001年
--- 塩野七生目次へ ---
海の都の物語 下 その2
◆第9話 聖地巡礼パック旅行
海の都の物語は政治、戦争などがメインになっているので、どちらかというとテーマが重いかもしれない。その中でも、上巻の「ヴェネツィアの女」と同様に清涼飲料のような章でお気軽に読み進められる。
さて、聖地巡礼がパック旅行だったとはびっくり。
よく考えれば、初めての旅行で、しかも危険な敵地に行くわけだから案内人が必要なのは当たり前なのだが、5百年も6百年も前にトラベルエージェントなどよく考えたものだった。
しかも観光ガイドのようなものや、行けない人のため、せめて行った気分にさせてくれる旅行記など現代とまったく同じじゃないか。
物語はサント・ブラスカという35歳のミラノの公務員がヴェネツィアからの海路でイェルサレムに向かった旅行記をもとに書かれている。ほぼそっくり旅行記を載せていることもあって当時の様子がとてもよく読み取れるようになっている。
半年から1年がかりの大旅行で、休職中の仕事の補間と亡くなったときのための後継を手当てして行ったそうだ。(今のサラリーマンなら、戻ったときのデスクがないのでは?と不安になってしまう =笑=)
なかでも、道楽人が笑ってしまったのは、キリスト教の免罪システムだ。と言ったら、現在のキリスト教徒からお叱りを受けるかもしれないが、許してください。
人間は、生きていること自体が罪みたいなものだから、どうしても罪ポイントがかさんでしまう。それが、聖地巡礼をすると、どこどこを巡礼すると7年と40日、また、どこどこを巡礼すると完全免罪。とか。イェルサレム巡礼の場合たいていひとつのポイントが7年と40日だそうだから、5箇所も回れば、35年くらいにはなるわけで、巡礼以降、戻ってから悪いことをしても許されるってか?
というか、完全免罪を1箇所巡礼すればそれでOKなはずだけれど多くの人は「折角遠路はるばるイェルサレムまで来たのだからあちこち回りたい」と思うのは当たり前ですね。
人間、普通に生きていれば必ず罪作りなことをしてしまうわけで、それに目をつけたキリスト教が、『免罪』というなんとも『うれしい』ご褒美を分けてやるわけだから良いシステムを作ったものです。
またさらに、それを利用して、ヴェネツィア人はパック旅行を商売にしたのだから『たのしい』ものでした。
とにかく、この章はたのしい。面白い。
それにしても、今の旅行はヨーロッパでもせいぜい2週間とかのあわただしい旅行しかできないのも寂しいものです。さらに、さらに2週間どころか1週間の休暇もなかなか取れないのが涙。。。。
ヤン・ファン・エイク(Jan van Eyck)
The Ghent Altarpiece: The Holy Pilgrims
1427-30
海の都の物語 上・下 中央公論社刊(中公文庫) 1989年・・・絶版
海の都の物語 上・下 (塩野七生ルネサンス著作集4,5) 新潮社刊 2001年
海の都の物語 下 その1 第8話 宿敵トルコ
2008-01-07-Mon-00:33
塩野七生シリーズ
海の都の物語 下 その1
第8話 宿敵トルコ
塩野さんの著作にある、戦記3部作を思い出す。まさにヨーロッパvsイスラムの構図である。
ヨーロッパの中でもいつもその最前線にいたのはヴェネツィアであった。
1300年ごろアジアに現れたオスマンは、常に領土拡大を目指し、1350年頃になるとヨーロッパとアジアの境であるダーダネルス海峡を渡ったガリーポリを占領するまでに広がった。
ここにきて、ヨーロッパキリストとオスマン・イスラムのガチンコが始まったのである。
その後、東のモンゴルの末裔であるチムールにたたかれたりして、勢力が一時弱まったものの、領土拡大は続き、スルタンマホメット2世になるとビザンチン帝国の最後の砦であるコンスタティノープルも陥落して、オスマンの首都イスタンブールとなってしまった。
その後も、オスマントルコの拡張欲はとどまることが無かった。
黒海沿岸、コンスタンティノープルを拠点にしていたヴェネツィアがコンスタンティノープルの陥落と共に消え去っていかなかったのは、やはり不思議だ。
いくら巨万の富を持っていると言っても、人口はわずか十数万の都市国家である。それなのに、圧倒的な軍事力を持つオスマンに一気に叩かれることは無かった。
一言で言えば、『組織力』なんだろうが、危機のときほどその組織力が発揮されたんだろう。
当てにならない周りのキリスト国家よりイスラムとの講和を選択するのをためらわないのもヴェネツィアらしい。
1479年の講和後について七生さんは次のように書いている。
*********
しかし、新興国トルコとの対決は、ヴェネツィアに、時代の流れが変わったことを悟らせる。15世紀後半のヴェネツィア人は一世紀前のジェノヴァとの戦いを郷愁を持って思い出したのではないだろうか。ジェノヴァとの戦いは、それが、いかに激烈でも所詮二国の持っていた条件は同じであった。そして、条件に基づく価値観も同じだった。これらが同じならば、勝負を決するのは、それらの活用能力の差である。ヴェネツィアはそれらが優れていたからジェノヴァに勝てたのである。
ところが、トルコはまったく違う。彼らとの間の勝負を決するのは、能力ではない。量なのである。大砲に着眼したマホメット二世は天才だが、戦いを決したのはトルコの兵の数であった。一声でヴェネツィアの総男子人口に匹敵する兵を集められる国に、どうしたら対抗できるであろう。ヴェネツィア人は戦争の規模が一変したことを認めるしかなかった。
*********
この章では、スルタンマホメット2世の時代までのオスマントルコとの関わりをしるしている。
この差が歴然としてくるのは、講和後の20年を過ぎてから、また、西にも大国が出現してヴェネツィアの立場は苦しくなってくる。これは後ほど。

ジェンティーレ・ベッリーニ(Gentile BELLINI)
Miracle of the Cross at the Bridge of S. Lorenzo
1500年
--- 塩野七生目次へ ---
蛇足
中国史などでもそうだが、封建制下の専制君主は残酷になるようだ。というか残酷などという感情を持っていては専制君主は務まらないのかもしれない。講和のしるしとして派遣された画家ベッリーニはマホメット2世に相当気に入られたらしいが、ベッリーニはある事件からマホメット2世から逃れるようにヴェネツィアに戻ったということだが、そのエピソードが相当残酷なので、印象強く残ってしまった。
エピソードとは、
ある日、ベッリーニ作のヨハネの切られたばかり首(サロメの褒美としてのヨハネの首をはねたものと思う)を描いた絵をマホメット2世に見せたところ、マホメット2世は「大変素晴らしい絵だ」と褒め称えたが、「一点だけ違う!」と言った。それは、
ベッリーニはリアル感を出すために切られた首から血管が飛び出して描いている。
しかしマホメット2世は言う。「人の首ははねられた瞬間、血管は収縮して内側にのめりこむ。」
そして、すぐさまマホメット2世は、一人の奴隷を連れてこさせて、その場で、首をはねて見せた。
ベッリーニはそれ以来、恐ろしくなって、一時でも早くヴェネツィアに帰りたいと思ったのであろう。
もし、 レオナルド・ダ・ビンチならばその瞬間を見たとき、まじまじと見たのではないか。などと考えてしまった。
海の都の物語 下 その1
第8話 宿敵トルコ
塩野さんの著作にある、戦記3部作を思い出す。まさにヨーロッパvsイスラムの構図である。
ヨーロッパの中でもいつもその最前線にいたのはヴェネツィアであった。
1300年ごろアジアに現れたオスマンは、常に領土拡大を目指し、1350年頃になるとヨーロッパとアジアの境であるダーダネルス海峡を渡ったガリーポリを占領するまでに広がった。
ここにきて、ヨーロッパキリストとオスマン・イスラムのガチンコが始まったのである。
その後、東のモンゴルの末裔であるチムールにたたかれたりして、勢力が一時弱まったものの、領土拡大は続き、スルタンマホメット2世になるとビザンチン帝国の最後の砦であるコンスタティノープルも陥落して、オスマンの首都イスタンブールとなってしまった。
その後も、オスマントルコの拡張欲はとどまることが無かった。
黒海沿岸、コンスタンティノープルを拠点にしていたヴェネツィアがコンスタンティノープルの陥落と共に消え去っていかなかったのは、やはり不思議だ。
いくら巨万の富を持っていると言っても、人口はわずか十数万の都市国家である。それなのに、圧倒的な軍事力を持つオスマンに一気に叩かれることは無かった。
一言で言えば、『組織力』なんだろうが、危機のときほどその組織力が発揮されたんだろう。
当てにならない周りのキリスト国家よりイスラムとの講和を選択するのをためらわないのもヴェネツィアらしい。
1479年の講和後について七生さんは次のように書いている。
*********
しかし、新興国トルコとの対決は、ヴェネツィアに、時代の流れが変わったことを悟らせる。15世紀後半のヴェネツィア人は一世紀前のジェノヴァとの戦いを郷愁を持って思い出したのではないだろうか。ジェノヴァとの戦いは、それが、いかに激烈でも所詮二国の持っていた条件は同じであった。そして、条件に基づく価値観も同じだった。これらが同じならば、勝負を決するのは、それらの活用能力の差である。ヴェネツィアはそれらが優れていたからジェノヴァに勝てたのである。
ところが、トルコはまったく違う。彼らとの間の勝負を決するのは、能力ではない。量なのである。大砲に着眼したマホメット二世は天才だが、戦いを決したのはトルコの兵の数であった。一声でヴェネツィアの総男子人口に匹敵する兵を集められる国に、どうしたら対抗できるであろう。ヴェネツィア人は戦争の規模が一変したことを認めるしかなかった。
*********
この章では、スルタンマホメット2世の時代までのオスマントルコとの関わりをしるしている。
この差が歴然としてくるのは、講和後の20年を過ぎてから、また、西にも大国が出現してヴェネツィアの立場は苦しくなってくる。これは後ほど。

ジェンティーレ・ベッリーニ(Gentile BELLINI)
Miracle of the Cross at the Bridge of S. Lorenzo
1500年
蛇足
中国史などでもそうだが、封建制下の専制君主は残酷になるようだ。というか残酷などという感情を持っていては専制君主は務まらないのかもしれない。講和のしるしとして派遣された画家ベッリーニはマホメット2世に相当気に入られたらしいが、ベッリーニはある事件からマホメット2世から逃れるようにヴェネツィアに戻ったということだが、そのエピソードが相当残酷なので、印象強く残ってしまった。
エピソードとは、
ある日、ベッリーニ作のヨハネの切られたばかり首(サロメの褒美としてのヨハネの首をはねたものと思う)を描いた絵をマホメット2世に見せたところ、マホメット2世は「大変素晴らしい絵だ」と褒め称えたが、「一点だけ違う!」と言った。それは、
ベッリーニはリアル感を出すために切られた首から血管が飛び出して描いている。
しかしマホメット2世は言う。「人の首ははねられた瞬間、血管は収縮して内側にのめりこむ。」
そして、すぐさまマホメット2世は、一人の奴隷を連れてこさせて、その場で、首をはねて見せた。
ベッリーニはそれ以来、恐ろしくなって、一時でも早くヴェネツィアに帰りたいと思ったのであろう。
もし、 レオナルド・ダ・ビンチならばその瞬間を見たとき、まじまじと見たのではないか。などと考えてしまった。
海の都の物語 上 その3 ヴェニスの商人、政治の技術
2007-12-22-Sat-01:13
塩野七生シリーズ
海の都の物語 上 その3
前回の第4次十字軍から少し間があいてしまったが、この物語の最も核になる部分にちがいない「ヴェニスの商人」と「政治の技術」を取り上げて上巻を終わろうと思う。
◇ヴェニスの商人
ヴェニスの商人といえば、もちろんシェークスピア。
七生さんも、この章は、シェークスピアに始まる。
ところが、アントニオのようなヴェネツィア商人はいないはずだという。
七生さんは、ヴェネツィア商人は、合理的で、近代的な男たちであったといい、この章を『ヴェネツィア株式会社』としてもいいと言っている。
たしか、30年ほど前の日本の経済がダイナミックであった頃アメリカから、
『日本は護送船団方式』だから卑怯だというクレームがついた。
それに対して、
日本政府は、『はいそうですか。それじゃ国主導の方式は止めます』とあっさり言うことを聴いてしまった。
ところが、実は、アメリカも、ヨーロッパもどの国も、護送船団方式をとっているじゃないか。
アメリカによる中南米支配、アフガン、イラク侵攻など最たるものじゃないか。
やはり、信念が必要なのだ。
ヴェネツィアは『ムーダ』という文字通りの護送船団で国家として通商を支え、繁栄した。
民と官が一体になれなかったその他のイタリアの海洋都市(アマルフィ、ピサ、ジェノヴァ)は早く脱落して行った。
通商拠点として栄えた都市が次々にイスラムの手に落ち、そのたびに拠点を変えて生きていく。また、払っても払っても、襲ってくる海賊たち。
危機の連続であるヴェネツィアであるが、危機をバネに繁栄していくのを時代を追って分析してゆく。
◇政治の技術
通商国家はヴェネツィア以外にも多くあったが、ヴェネツィアのような政体をとった国家は他にはなかった。
なぜそのようなことが出来たかをひもとく章である。
『
14世紀にもう少しで入ろうとする頃である。ヴェネツィアでは以降の共和国の政体を決することになる改革が行われようとしていた。しかし、この改革によって確立する政体が共和国の崩壊するに至るまでの500年間ほとんど変えられないで続く政体になろうとは有力者階級も一般市民もおそらく少しも自覚していなかったであろう。
』
で始まる大改革。
(現代日本にもこのような改革が来るときがあるのであろうか?)
ヴェネツィアには、ドージェという地位がある。日本語では元首だが、この地位は終生のものである。普通の国であれば、元首になった人が、いつまにか強力な実権を握って封建制へ移行してゆくのであるが、それを抑えるためのいろいろなブレーキを持っていた。元首はあくまでも象徴であり、その意味では、現在の世界各国の立憲君主国家や日本の象徴天皇であったりするのと似ている。ただし、根本的に違うのは、決して世襲にはならない。また、他の元老院議員と同じ一人分の権利を持つ。
ヴェネツィアは現在の民主主義に近い寡頭制をとった国であるが、民主主義の欠点であるスピードの無さ。これをカバーするための方法を考え出したところに理想より現実を取る合理主義者ヴェネツィア人の気質を感じる。優れた政治バランス感覚というのであろうか。
そして、それが政治の技術として完成されてゆく。
現代の民主主義がベストであろうはずはないが、これを読むと本当にベターなのか疑問を持ってしまう。
CDXというCIAやKGBを連想させるような機関も存在したが、その成り立ちや運用時代と共に変わったというのもうなずきである。(納得するところはあるが、これだけはお断りしたい。)
文庫のカバーになっている現在のイタリア海軍旗

中央の4つの紋章は
左上 翼を持つ獅子 ヴェネツィア
右上 白地に赤十字 ジェノヴァ
左下 青地に白十字 アマルフィ
右下 赤地に白十字 ピサ
=第6話 ライヴァル、ジェノヴァ より
現在のイタリア海軍は過去のイタリア海洋都市国家の栄光にあやかりたい?
海の都の物語 上
目次
第1話 ヴェネツィア誕生
第2話 海へ!
第3話 第4次十字軍
第4話 ヴェニスの商人
第5話 政治の技術
第6話 ライヴァル、ジェノヴァ
第7話 ヴェネツィアの女
--- 塩野七生目次へ ---
海の都の物語 上 その3
前回の第4次十字軍から少し間があいてしまったが、この物語の最も核になる部分にちがいない「ヴェニスの商人」と「政治の技術」を取り上げて上巻を終わろうと思う。
◇ヴェニスの商人
ヴェニスの商人といえば、もちろんシェークスピア。
七生さんも、この章は、シェークスピアに始まる。
ところが、アントニオのようなヴェネツィア商人はいないはずだという。
七生さんは、ヴェネツィア商人は、合理的で、近代的な男たちであったといい、この章を『ヴェネツィア株式会社』としてもいいと言っている。
たしか、30年ほど前の日本の経済がダイナミックであった頃アメリカから、
『日本は護送船団方式』だから卑怯だというクレームがついた。
それに対して、
日本政府は、『はいそうですか。それじゃ国主導の方式は止めます』とあっさり言うことを聴いてしまった。
ところが、実は、アメリカも、ヨーロッパもどの国も、護送船団方式をとっているじゃないか。
アメリカによる中南米支配、アフガン、イラク侵攻など最たるものじゃないか。
やはり、信念が必要なのだ。
ヴェネツィアは『ムーダ』という文字通りの護送船団で国家として通商を支え、繁栄した。
民と官が一体になれなかったその他のイタリアの海洋都市(アマルフィ、ピサ、ジェノヴァ)は早く脱落して行った。
通商拠点として栄えた都市が次々にイスラムの手に落ち、そのたびに拠点を変えて生きていく。また、払っても払っても、襲ってくる海賊たち。
危機の連続であるヴェネツィアであるが、危機をバネに繁栄していくのを時代を追って分析してゆく。
◇政治の技術
通商国家はヴェネツィア以外にも多くあったが、ヴェネツィアのような政体をとった国家は他にはなかった。
なぜそのようなことが出来たかをひもとく章である。
『
14世紀にもう少しで入ろうとする頃である。ヴェネツィアでは以降の共和国の政体を決することになる改革が行われようとしていた。しかし、この改革によって確立する政体が共和国の崩壊するに至るまでの500年間ほとんど変えられないで続く政体になろうとは有力者階級も一般市民もおそらく少しも自覚していなかったであろう。
』
で始まる大改革。
(現代日本にもこのような改革が来るときがあるのであろうか?)
ヴェネツィアには、ドージェという地位がある。日本語では元首だが、この地位は終生のものである。普通の国であれば、元首になった人が、いつまにか強力な実権を握って封建制へ移行してゆくのであるが、それを抑えるためのいろいろなブレーキを持っていた。元首はあくまでも象徴であり、その意味では、現在の世界各国の立憲君主国家や日本の象徴天皇であったりするのと似ている。ただし、根本的に違うのは、決して世襲にはならない。また、他の元老院議員と同じ一人分の権利を持つ。
ヴェネツィアは現在の民主主義に近い寡頭制をとった国であるが、民主主義の欠点であるスピードの無さ。これをカバーするための方法を考え出したところに理想より現実を取る合理主義者ヴェネツィア人の気質を感じる。優れた政治バランス感覚というのであろうか。
そして、それが政治の技術として完成されてゆく。
現代の民主主義がベストであろうはずはないが、これを読むと本当にベターなのか疑問を持ってしまう。
CDXというCIAやKGBを連想させるような機関も存在したが、その成り立ちや運用時代と共に変わったというのもうなずきである。(納得するところはあるが、これだけはお断りしたい。)
文庫のカバーになっている現在のイタリア海軍旗

中央の4つの紋章は
左上 翼を持つ獅子 ヴェネツィア
右上 白地に赤十字 ジェノヴァ
左下 青地に白十字 アマルフィ
右下 赤地に白十字 ピサ
=第6話 ライヴァル、ジェノヴァ より
現在のイタリア海軍は過去のイタリア海洋都市国家の栄光にあやかりたい?
海の都の物語 上
目次
第1話 ヴェネツィア誕生
第2話 海へ!
第3話 第4次十字軍
第4話 ヴェニスの商人
第5話 政治の技術
第6話 ライヴァル、ジェノヴァ
第7話 ヴェネツィアの女
海の都の物語 上 その2 第4次十字軍
2007-12-14-Fri-21:48
塩野七生シリーズ
海の都の物語 上 その2
第3話 第4次十字軍
道楽人は、以前、西洋史に全く興味がなかったので、十字軍といえば「キリスト教徒の聖地奪回のための戦い」程度の知識しか持ち合わせていなかった。
第1回以外はことごとく失敗の連続であることも知らなかった。第1回も成功というよりも、大航海時代から現在に続くヨーロッパ人の白人優越主義であったり、ユダヤ人迫害のはしりであったりした。
現在に続くキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の聖地イェルサレムの奪回戦争の原点であるのは当然である。
この第4次は歴史的に見て最悪の十字軍と言われている。
イェルサレムを目指すはずの十字軍がなぜか東ローマ帝国の首都コンスタンチノープルを乗っ取ってしまい「ラテン帝国」なるものを作ってしまったのだから。
それも、元々金も無いのに大ぼらを吹いて、イェルサレム奪回を目指した十字軍、商人ベネチアは約束を守るべく東へ十字軍を輸送する。
金がないなら、働いて返してもらおうと海の高速網の拠点ザーラを十字軍でもって攻略することを要求する。攻略と言っても、相手のハンガリア帝国もキリスト教国。十字軍の錦の御旗にはなりえないが、背に腹は代えられないので、実行してしまう。
しかし、その程度では、輸送費に一部にしかならない。 さらに、色々な人の思惑がからみ、挙句の果てに、内紛の続く東ローマ帝国のコンスタンチノープルを陥れてしまうという暴挙になってしまった。
まったく『したいこと』と『行ったこと』が180度違ってしまったのである。
この矛盾をどう読むか。いままでの歴史ではベネチアが悪人らしいが、それを塩野流で読み解くとこうなる。 根本的にモラルの無い人なのに、徹底的にモラリストぶればモラリストとして通ってしまう。
超キリスト教的な押し付けである。
ところが、ベネツィア人は、ビジネス1番、キリスト教2番を実践する現実主義者であった。

ドラクロア作
十字軍のコンスタンチノープル入城 1840
--- 塩野七生目次へ ---
十字軍つながり 「海と夕焼け」
海の都の物語 上 その2
第3話 第4次十字軍
道楽人は、以前、西洋史に全く興味がなかったので、十字軍といえば「キリスト教徒の聖地奪回のための戦い」程度の知識しか持ち合わせていなかった。
第1回以外はことごとく失敗の連続であることも知らなかった。第1回も成功というよりも、大航海時代から現在に続くヨーロッパ人の白人優越主義であったり、ユダヤ人迫害のはしりであったりした。
現在に続くキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の聖地イェルサレムの奪回戦争の原点であるのは当然である。
この第4次は歴史的に見て最悪の十字軍と言われている。
イェルサレムを目指すはずの十字軍がなぜか東ローマ帝国の首都コンスタンチノープルを乗っ取ってしまい「ラテン帝国」なるものを作ってしまったのだから。
それも、元々金も無いのに大ぼらを吹いて、イェルサレム奪回を目指した十字軍、商人ベネチアは約束を守るべく東へ十字軍を輸送する。
金がないなら、働いて返してもらおうと海の高速網の拠点ザーラを十字軍でもって攻略することを要求する。攻略と言っても、相手のハンガリア帝国もキリスト教国。十字軍の錦の御旗にはなりえないが、背に腹は代えられないので、実行してしまう。
しかし、その程度では、輸送費に一部にしかならない。 さらに、色々な人の思惑がからみ、挙句の果てに、内紛の続く東ローマ帝国のコンスタンチノープルを陥れてしまうという暴挙になってしまった。
まったく『したいこと』と『行ったこと』が180度違ってしまったのである。
この矛盾をどう読むか。いままでの歴史ではベネチアが悪人らしいが、それを塩野流で読み解くとこうなる。 根本的にモラルの無い人なのに、徹底的にモラリストぶればモラリストとして通ってしまう。
超キリスト教的な押し付けである。
ところが、ベネツィア人は、ビジネス1番、キリスト教2番を実践する現実主義者であった。

ドラクロア作
十字軍のコンスタンチノープル入城 1840
十字軍つながり 「海と夕焼け」
海の都の物語 上
2007-12-09-Sun-23:20
塩野七生シリーズ
海の都の物語 上 その1
しばらくぶりの塩野七生シリーズ。
実は、そろそろ『ローマ人の物語』に入りたいと思ったが、ローマ人シリーズの間にこの『海の都の物語』を挟むことはしたくなかったので、ローマ人の前にこの『海の都の物語』をぜひ、入れたいと思った。
副題が「ヴェネツィア共和国の一千年」
そのものズバリ。なぜヴェネツィアが千年都たりえたか。をひも解く物語である。
ローマ人の物語が、千二百年の繁栄を続けることができたか。というのと対比するものがある。
ローマ人の物語のための助走の作品というとらえ方をすることも出来るが、この『海の都の物語』はローマ人の物語以上の独創性がある書き物であると思う。
まず、このヴェネツィアという国をひも解いていく手法がユニーク。
ひとつの国の歴史を書くときは、過去から現在方向に向けて順繰りに綴っていく編年体になるのが普通だが、編年にそって、その頃のトピックを切り出して、探っていく。という手法をとっている。
政治、経済、軍事、宗教、文化などいつの時代にもそれぞれ大切ではあるが、その時代の要となる項目について、分析していくやり方は、とても理解しやすい。
これが、塩野流。
現在は、新潮社から塩野七生、ルネサンス著作集の一部として第4巻(上)、第5巻(下)で販売されている。
道楽人が読んだのは今は絶版となっている中公文庫の上下巻をアマゾンで中古を買ったもの。
塩野作品の中で道楽人が最も好きな作品であるこの本を一回で終わらせるのはもったいないので、何度かに分けて紹介しようと思う。
今回は、まず「海へ」を取り上げる。
ヴェネツィアにとって、海がなければ、成り立たない。この海とのかかわりの第一歩と、どのように対峙したかを語る編である。
**ここから***
航海することによって豊かになる道が二つある。
ひとつは、交易に従事することであり、他の一つは海賊を業とすることである。
**ここまで***
で、ヴェネツィア人は、後者にはまったく見向きもしなかった。
(現代人の感覚では、海賊=悪であるが、17世紀頃までは海賊は正当な生業であった。)
なぜ、交易を選んだか。どのように海賊と戦ったか。を中心に描いている。
**ここから***
一言でヴェネツィアを語れば、
はじめに、商売ありき。
であり、そのために、第一に海上高速道路の建設、第二に東方にも西方にも大国に従属しない、第3にアドリア海の警察を担うことであった。
彼らは、中世のエコノミックアニマルであった。が、少しもそうであることに劣等感を抱かなかった。それは、おそらくそれをやっていくには、政治、外交、軍事のいづれの面でもきめ細かい技を駆使しなければならずそのような技術は芸術としても、才能としても劣るものではないことを知っていたからであろう。
**ここまで****
と、このようにヴェネツィアを表現している。
なんと、示唆的な表現だろうか。
そしてアドリア海の一番奥から繁栄の絶頂へと向かっていく。

ヴェネツィア鳥瞰図
ヤコポ・デ・バルベーリ作
1500年
(大運河にかかる橋はリアルト橋だけ)
--- 塩野七生目次へ ---
海の都の物語 上 その1
しばらくぶりの塩野七生シリーズ。
実は、そろそろ『ローマ人の物語』に入りたいと思ったが、ローマ人シリーズの間にこの『海の都の物語』を挟むことはしたくなかったので、ローマ人の前にこの『海の都の物語』をぜひ、入れたいと思った。
副題が「ヴェネツィア共和国の一千年」
そのものズバリ。なぜヴェネツィアが千年都たりえたか。をひも解く物語である。
ローマ人の物語が、千二百年の繁栄を続けることができたか。というのと対比するものがある。
ローマ人の物語のための助走の作品というとらえ方をすることも出来るが、この『海の都の物語』はローマ人の物語以上の独創性がある書き物であると思う。
まず、このヴェネツィアという国をひも解いていく手法がユニーク。
ひとつの国の歴史を書くときは、過去から現在方向に向けて順繰りに綴っていく編年体になるのが普通だが、編年にそって、その頃のトピックを切り出して、探っていく。という手法をとっている。
政治、経済、軍事、宗教、文化などいつの時代にもそれぞれ大切ではあるが、その時代の要となる項目について、分析していくやり方は、とても理解しやすい。
これが、塩野流。
現在は、新潮社から塩野七生、ルネサンス著作集の一部として第4巻(上)、第5巻(下)で販売されている。
道楽人が読んだのは今は絶版となっている中公文庫の上下巻をアマゾンで中古を買ったもの。
塩野作品の中で道楽人が最も好きな作品であるこの本を一回で終わらせるのはもったいないので、何度かに分けて紹介しようと思う。
今回は、まず「海へ」を取り上げる。
ヴェネツィアにとって、海がなければ、成り立たない。この海とのかかわりの第一歩と、どのように対峙したかを語る編である。
**ここから***
航海することによって豊かになる道が二つある。
ひとつは、交易に従事することであり、他の一つは海賊を業とすることである。
**ここまで***
で、ヴェネツィア人は、後者にはまったく見向きもしなかった。
(現代人の感覚では、海賊=悪であるが、17世紀頃までは海賊は正当な生業であった。)
なぜ、交易を選んだか。どのように海賊と戦ったか。を中心に描いている。
**ここから***
一言でヴェネツィアを語れば、
はじめに、商売ありき。
であり、そのために、第一に海上高速道路の建設、第二に東方にも西方にも大国に従属しない、第3にアドリア海の警察を担うことであった。
彼らは、中世のエコノミックアニマルであった。が、少しもそうであることに劣等感を抱かなかった。それは、おそらくそれをやっていくには、政治、外交、軍事のいづれの面でもきめ細かい技を駆使しなければならずそのような技術は芸術としても、才能としても劣るものではないことを知っていたからであろう。
**ここまで****
と、このようにヴェネツィアを表現している。
なんと、示唆的な表現だろうか。
そしてアドリア海の一番奥から繁栄の絶頂へと向かっていく。

ヴェネツィア鳥瞰図
ヤコポ・デ・バルベーリ作
1500年
(大運河にかかる橋はリアルト橋だけ)
男の肖像
2007-11-20-Tue-23:44
この本は、歴史上の有名な男性を14人取り上げて塩野流通信簿を書いている。
七生さんだからギリシャ、ローマ系の人物がでてくるのは当然だが、日本から、4人、現代史中国から1名入れている。
いつも、ローマばかりなので、ナポレオンと日本人の話を。
道楽人はナポレオンと言えば、フランスだと思っていた。確かにフランスなのだが、コルシカ島は、ナポレオンが生まれる1年前(1768年)に形式的にフランス領になって、実質フランス領になったのは1789年。ナポレオンが20歳のとき。ナポレオンは9歳でフランスに渡っているのでそのころはすでにコルシカを離れていた。コルシカの言葉はイタリア語により近いそうだ。天才的な軍事実績もあるが、惨めな敗戦もあるまさに波乱万丈。七生さんはその業績云々ではなく、家族博愛主義の家長的精神が男の魅力に欠けると言っている。
『こんな見方もあるんだ。』
七生さんがこの本で取り上げた日本人4人の中で、一番買っているのが、北条時宗。モンゴルに対して不退転で臨んで、追い返した唯一の人物として。
17歳で執権になり33歳で死ぬまでの16年間、ほぼ全てを対モンゴルにかけて使い果たした。
現代に近い時代の人物に対しては、評価を控えていると言う感じもするが、七生流視点でとらえられている。 道楽人的には、もうすこし掘り下げた内容も欲しいような気もするが、意外な視点ということだとこれでもいいかも。
下の、ABC評価は七生さんがABCをつけるとしたらこんなかな?ということで、道楽人が勝手につけたもの。
| 男の名 | あえて七生評 |
| ペリクレス | A |
| アレクサンダー大王 | AA |
| 大カトー | B |
| ユリウス・カエサル | AAA |
| 北条時宗 | AA |
| 織田信長 | A |
| 千利休 | C |
| 西郷隆盛 | B |
| ナポレオン | B |
| フランツ・ヨゼフ1世 | C |
| 毛沢東 | 評価なし |
| コシモ・デ・メディチ | A |
| マーカス・アグリッパ | A |
| チャーチル | 評価なし |
よくあるナポレオンの肖像画、『アルプス越え』は白馬に乗って、馬が前両足を上げていなないているところだが、アルプスは馬で越えられるわけが無い。ということで、本当はロバだった。で、あまり一般的ではないが、より本当の話に近いロバにのってアルプスを越える絵。現実主義を貫くと夢が無くなる。ちょっと貧相じゃ。
ポール・ドラロッシュ作

男の肖像
文春文庫 206ページ 上質紙 写真豊富
1992年6月発行 590円+税




