古代ローマをテレビでやっていた
2008-01-03-Thu-23:59
TBSの正月番組として みのもんた 司会で4時間半の番組だった。
これはっ、と思って見て見たら、塩野七生さんの『ローマ人の物語』そのものを番組化したものだった。
ハンニバルとスキピオの戦いとかカエサルの行動、考え方など良く出来ていたと思うが、最後は、時間に収めるためにパタパタとなってしまったのは仕方が無いか。
なんといっても、15冊、ページ数にしたら6000ページは超える内容を4時間で収めるわけだから。
ちょっと気になったのは、ローマ街道の轍。
2000年前の轍であるはずはない。
と、七生さんなら言うはずなのに。なぜ、そこが公正されなかったのかな。
轍は、ローマ帝国衰退期以降ならありえるが、それ以前なら、完全舗装の高速道路をメンテしていたローマ軍であれば、少しの轍が見えてきたらすぐ修復していたはずだから。
塩野さんが少しだけ出てきて話していたが、塩野さんのトークはやっぱりイマイチだったな。
塩野さんのは作品を読むのが一番だ。
番組を見て、
行きたいーー。イタリアへ。
この目でフォロを、パンテオンをサンタンジェロ城を。。。。もちろんバチカンも。
かみさんも一緒に見ていて、今年は是非ローマに行きたいね。
と言っていたが、「13時間もエコノミーで行けるかどうか不安だ。」なんて言っている。
「一度でいいからファーストクラスでヨーロッパに行ってみたい」って。
なに言っているんだ。見るからにエコノミーのくせに。
ところで、やはりローマといって連想するものは普通は「ローマの休日」なんだね。
現代のローマもルネサンスのローマも、古代ローマも、とにかくこの目で見てみたい。
これはっ、と思って見て見たら、塩野七生さんの『ローマ人の物語』そのものを番組化したものだった。
ハンニバルとスキピオの戦いとかカエサルの行動、考え方など良く出来ていたと思うが、最後は、時間に収めるためにパタパタとなってしまったのは仕方が無いか。
なんといっても、15冊、ページ数にしたら6000ページは超える内容を4時間で収めるわけだから。
ちょっと気になったのは、ローマ街道の轍。
2000年前の轍であるはずはない。
と、七生さんなら言うはずなのに。なぜ、そこが公正されなかったのかな。
轍は、ローマ帝国衰退期以降ならありえるが、それ以前なら、完全舗装の高速道路をメンテしていたローマ軍であれば、少しの轍が見えてきたらすぐ修復していたはずだから。
塩野さんが少しだけ出てきて話していたが、塩野さんのトークはやっぱりイマイチだったな。
塩野さんのは作品を読むのが一番だ。
番組を見て、
行きたいーー。イタリアへ。
この目でフォロを、パンテオンをサンタンジェロ城を。。。。もちろんバチカンも。
かみさんも一緒に見ていて、今年は是非ローマに行きたいね。
と言っていたが、「13時間もエコノミーで行けるかどうか不安だ。」なんて言っている。
「一度でいいからファーストクラスでヨーロッパに行ってみたい」って。
なに言っているんだ。見るからにエコノミーのくせに。
ところで、やはりローマといって連想するものは普通は「ローマの休日」なんだね。
現代のローマもルネサンスのローマも、古代ローマも、とにかくこの目で見てみたい。
ミャンマー
2007-09-28-Fri-16:19
ミャンマーが騒がしい。
日本人ジャーナリストが銃弾に倒れた。
流れ弾にあたったのではなく狙撃されたということらしいので、なんとも痛ましい。
危険なところでの仕事なので、いつでも死を覚悟しているとは思うが、やっぱりまさが自分がと思う気持ちもあるんだろうな。
ところで、ミャンマーの首都が山の中になったというのは、今回はじめて知った。
ちょうどインパール作戦で多くの日本人が倒れたところかと思う。
インパール作戦と聞くと特別な名前を思い出す。「牟田口」
インパール作戦で多くの日本人を殺したのは敵ではなく味方であるべき司令官。
何万人の日本人が泥沼の白骨街道を食料もない行軍をしいられた。
敗色濃くなってきたとき、以下のような訓令を1時間以上もたれていたという。
「諸君、佐藤烈兵団長は、軍命に背きコヒマ方面の戦線を放棄した。食う物がないから戦争は出来んと言って勝手に退りよった。これが皇軍か。皇軍は食う物がなくても戦いをしなければならないのだ。兵器がない、やれ弾丸がない、食う物がないなどは戦いを放棄する理由にならぬ。弾丸がなかったら銃剣があるじゃないか。銃剣がなくなれば、腕でいくんじゃ。腕もなくなったら足で蹴れ。足もやられたら口で噛みついて行け。日本男子には大和魂があるということを忘れちゃいかん。日本は神州である。神々が守って下さる・・・」
こんなことを平気で言っていたのは時代と言うより彼個人の悪魔の精神だと思う。勿論時代もおかしかったが。
彼は昭和41年78歳まで 「インパールの敗戦は全て部下の無能によるもので、作戦は間違っていなかった」と主張していたということだ。
かれは、盧溝橋事件 (塩野七生の誕生日の事件。)の重要人物のひとりでもある。
これを考えると、神様はいないと思う。
日本人ジャーナリストが銃弾に倒れた。
流れ弾にあたったのではなく狙撃されたということらしいので、なんとも痛ましい。
危険なところでの仕事なので、いつでも死を覚悟しているとは思うが、やっぱりまさが自分がと思う気持ちもあるんだろうな。
ところで、ミャンマーの首都が山の中になったというのは、今回はじめて知った。
ちょうどインパール作戦で多くの日本人が倒れたところかと思う。
インパール作戦と聞くと特別な名前を思い出す。「牟田口」
インパール作戦で多くの日本人を殺したのは敵ではなく味方であるべき司令官。
何万人の日本人が泥沼の白骨街道を食料もない行軍をしいられた。
敗色濃くなってきたとき、以下のような訓令を1時間以上もたれていたという。
「諸君、佐藤烈兵団長は、軍命に背きコヒマ方面の戦線を放棄した。食う物がないから戦争は出来んと言って勝手に退りよった。これが皇軍か。皇軍は食う物がなくても戦いをしなければならないのだ。兵器がない、やれ弾丸がない、食う物がないなどは戦いを放棄する理由にならぬ。弾丸がなかったら銃剣があるじゃないか。銃剣がなくなれば、腕でいくんじゃ。腕もなくなったら足で蹴れ。足もやられたら口で噛みついて行け。日本男子には大和魂があるということを忘れちゃいかん。日本は神州である。神々が守って下さる・・・」
こんなことを平気で言っていたのは時代と言うより彼個人の悪魔の精神だと思う。勿論時代もおかしかったが。
彼は昭和41年78歳まで 「インパールの敗戦は全て部下の無能によるもので、作戦は間違っていなかった」と主張していたということだ。
かれは、盧溝橋事件 (塩野七生の誕生日の事件。)の重要人物のひとりでもある。
これを考えると、神様はいないと思う。
遺恨と忘却
2007-09-23-Sun-23:31
ここ半年ばかり、塩野七生にはまって、全て読みきろうと本を買い込んでいたが、あと手元にあるので、読んでいないのが、「神の代理人」だけになった。ここで少々イタリアンのオリーブオイルの脂っこさで胃袋が疲れて最後の一口が入らないという感じ。
それで、最近は、ちょっと新書系になってきています。
で、新書のほうの話をしようとおもっていたのですが、昨日の白虎隊の話でさとさんからコメントをいただいたので、七生系の話とくっつけて。
明治維新から139年たった今でも会津の人は長州人に遺恨を感じているか?
道楽人が思うに、今の50歳以下の人々はほとんど感じていないとおもう。
というのは、昭和20年代生まれまでの人の親は戦前に社会人になり、会津ということで不利を感じていたのではないだろうか?つまり、歴史的な記憶を忘れないというより、現に不利益を感じていた。エリートにとって特に大きな壁になっていていたと思う。陸軍の長州閥、薩摩閥は公然であり、恩賜の軍刀を受けることの出来る対象外だったということを聞く。
つまり、士官学校、陸大で首席でも戊辰の役の負け組みならばははずされていた。
(庄内の石原莞爾が軍刀組だからもしかすると負け惜しみかもしれないが、大きなハンディキャップであったことは確かだと思う。)
トップレベルがこんな感じだから中間役人レベル、さらに下のレベルまで多少なりとも不利を感じていたのではないだろうか。
こういうことで、戦前までは遺恨を忘れないというより、その場で不利を感じていたんだろうと思う。
ところが、戦後は、それから開放された。それで、昭和30年「もはや戦後ではない」と言われた頃に生まれた人あたりからは親からもその無念さを聴くこともなくなったからではないかと思う。
それと、城下町とはなにか?
塩野さんのエッセイでなんだったか忘れたが、「日本は城下町で、ヨーロッパは城中町だ」といっていた。
なるほど日本は侍同士が戦い庶民は勝者の言うことを聞くだけ。
侍からすると土地と農民は財産。なので、敵の侍も財産である農民を殺傷するようなことはよほどのことがなければない。だから、農民も戦争になれば、一時的にその場を逃れて戦争が終わったときに戻ってくればよいので支配者が誰であろうと大きな問題ではない。
なので、城壁は侍が籠城できるスペースだけ。
(今日の自民党総裁選と自分の関係と同じ?)
ところが、ヨーロッパでは、民族の大移動があったように戦士だけが攻めてくるのではなく一族そっくりやってきてその土地の支配者だけでなく一般庶民もそっくり抹殺し、その土地をのっとるためにやってくるので、支配者は庶民を守る必要がある。そこで、城壁は町を囲むように作られている。これは、ヨーロッパだけでなく中国などもそうで、大陸型なんでしょうね。
もちろん会津の鶴ヶ城は典型的な日本の城。会津戦争は、侍の利益のために戦ったのであり、会津の農民を守るために戦ったわけではない。幕末ごろはどこの藩でもそうであったように農民は農奴状態。たぶん武士にたいする農民の感情はかなり悪く「ざまあみろ」というような気持ちで見ていたのではないかと思います。
このまま続けば、士族は反薩長、その他はどうでもいいはずだった。
それが、明治になってからの会津では、士族の地位が落ちただけで、農民の地位は元々から低いまま。農民から軍人になることも出来るようになった。そとのき、西から見れば、同じ会津人。それで軍国主義もあいまって会津人みんなが会津ということで地域格差として不利を感じるようになったのではないでしょうか。
それで、昭和61年に山口県萩市から友好都市の申し入れがあったが、断った。昭和61年というと戦後41年、まだまだ不利を感じていた人たちもいたし、そのことを直接聞いた人たちも多かった。
現在は、というと、戦後生まれも60歳を越して会津ということで不利益を受けた人も少なくなり、それを直接聞くこともなくなってきた。
1868年9月22日は鶴ヶ城開城の日。
歴史は記憶しておく必要があるとおもうが、遺恨は忘れたほうがいいとおもう。
今日は、ちょっと長くなってしまった。
「不利」という言葉、先日少し話題にした武器と平和と貧困で紹介した『現代の貧困―ワーキングプア/ホームレス/生活保護 (ちくま新書)』でいっぱい出てくる「不利なひとびと」から出てきました。意味が違うけど。
この話も別の機会にしたいな。
長くなったといって、さらに長くなったので 箸休めというか口直し
今日の昼間近所を歩いていると娘の中学校の校長先生が他の先生らしい人と歩いていた。
なにかあったのかと気に止まったが会釈ていどで帰ってきた。
その話をかみさんにすると、「ばっかだねーー。まったく人間が出来ていない。」
「なんで、挨拶なんてするんだ。こそっと後ろをつけてどこに行ったか確認しろ。」と。
なんちゅーやっちゃ。
「すまんがオレはそこまで人間ができていないよ。」
これ、口直しにならない?フィンガーボールの水を飲んでしまったようだってか(笑)
それで、最近は、ちょっと新書系になってきています。
で、新書のほうの話をしようとおもっていたのですが、昨日の白虎隊の話でさとさんからコメントをいただいたので、七生系の話とくっつけて。
明治維新から139年たった今でも会津の人は長州人に遺恨を感じているか?
道楽人が思うに、今の50歳以下の人々はほとんど感じていないとおもう。
というのは、昭和20年代生まれまでの人の親は戦前に社会人になり、会津ということで不利を感じていたのではないだろうか?つまり、歴史的な記憶を忘れないというより、現に不利益を感じていた。エリートにとって特に大きな壁になっていていたと思う。陸軍の長州閥、薩摩閥は公然であり、恩賜の軍刀を受けることの出来る対象外だったということを聞く。
つまり、士官学校、陸大で首席でも戊辰の役の負け組みならばははずされていた。
(庄内の石原莞爾が軍刀組だからもしかすると負け惜しみかもしれないが、大きなハンディキャップであったことは確かだと思う。)
トップレベルがこんな感じだから中間役人レベル、さらに下のレベルまで多少なりとも不利を感じていたのではないだろうか。
こういうことで、戦前までは遺恨を忘れないというより、その場で不利を感じていたんだろうと思う。
ところが、戦後は、それから開放された。それで、昭和30年「もはや戦後ではない」と言われた頃に生まれた人あたりからは親からもその無念さを聴くこともなくなったからではないかと思う。
それと、城下町とはなにか?
塩野さんのエッセイでなんだったか忘れたが、「日本は城下町で、ヨーロッパは城中町だ」といっていた。
なるほど日本は侍同士が戦い庶民は勝者の言うことを聞くだけ。
侍からすると土地と農民は財産。なので、敵の侍も財産である農民を殺傷するようなことはよほどのことがなければない。だから、農民も戦争になれば、一時的にその場を逃れて戦争が終わったときに戻ってくればよいので支配者が誰であろうと大きな問題ではない。
なので、城壁は侍が籠城できるスペースだけ。
(今日の自民党総裁選と自分の関係と同じ?)
ところが、ヨーロッパでは、民族の大移動があったように戦士だけが攻めてくるのではなく一族そっくりやってきてその土地の支配者だけでなく一般庶民もそっくり抹殺し、その土地をのっとるためにやってくるので、支配者は庶民を守る必要がある。そこで、城壁は町を囲むように作られている。これは、ヨーロッパだけでなく中国などもそうで、大陸型なんでしょうね。
もちろん会津の鶴ヶ城は典型的な日本の城。会津戦争は、侍の利益のために戦ったのであり、会津の農民を守るために戦ったわけではない。幕末ごろはどこの藩でもそうであったように農民は農奴状態。たぶん武士にたいする農民の感情はかなり悪く「ざまあみろ」というような気持ちで見ていたのではないかと思います。
このまま続けば、士族は反薩長、その他はどうでもいいはずだった。
それが、明治になってからの会津では、士族の地位が落ちただけで、農民の地位は元々から低いまま。農民から軍人になることも出来るようになった。そとのき、西から見れば、同じ会津人。それで軍国主義もあいまって会津人みんなが会津ということで地域格差として不利を感じるようになったのではないでしょうか。
それで、昭和61年に山口県萩市から友好都市の申し入れがあったが、断った。昭和61年というと戦後41年、まだまだ不利を感じていた人たちもいたし、そのことを直接聞いた人たちも多かった。
現在は、というと、戦後生まれも60歳を越して会津ということで不利益を受けた人も少なくなり、それを直接聞くこともなくなってきた。
1868年9月22日は鶴ヶ城開城の日。
歴史は記憶しておく必要があるとおもうが、遺恨は忘れたほうがいいとおもう。
今日は、ちょっと長くなってしまった。
「不利」という言葉、先日少し話題にした武器と平和と貧困で紹介した『現代の貧困―ワーキングプア/ホームレス/生活保護 (ちくま新書)』でいっぱい出てくる「不利なひとびと」から出てきました。意味が違うけど。
この話も別の機会にしたいな。
長くなったといって、さらに長くなったので 箸休めというか口直し
今日の昼間近所を歩いていると娘の中学校の校長先生が他の先生らしい人と歩いていた。
なにかあったのかと気に止まったが会釈ていどで帰ってきた。
その話をかみさんにすると、「ばっかだねーー。まったく人間が出来ていない。」
「なんで、挨拶なんてするんだ。こそっと後ろをつけてどこに行ったか確認しろ。」と。
なんちゅーやっちゃ。
「すまんがオレはそこまで人間ができていないよ。」
これ、口直しにならない?フィンガーボールの水を飲んでしまったようだってか(笑)
カリグラ、コンモドゥス
2007-08-30-Thu-22:05
8月31日についてWikiを見ていたら。
誕生日に カリグラとコモドゥスが並んでいた。
カリグラ、コンモドゥスを知らない人のために。
カリグラ=
ローマ帝国3代目の皇帝。
若くして皇帝になり、先代皇帝のティベリウスが老齢、コチコチ、どケチのワンマンだったため不評で、若い皇帝に期待が集まって大衆の人気抜群で、新皇帝に迎えられた。
期待通りカリグラは先代と違ってど派手で、金遣いも荒く、先代の蓄えた財を湯水のように垂れ流し。減税で、市民を喜ばせ、パンとサーカスといわれる福祉と娯楽にバンバン金をつぎ込んだ。福祉というとよさそうだが、要は市民の人気取り。
映画ベンハー(かなり古い)で戦車競争が行われるのは多分このころ今のバチカンの場所に戦車競技場を作って市民と一緒になって興奮していららしい。
現代では非人間的というとこで批判の対象にされるが、当時のローマ市民に人気のあった剣闘士試合を復活させた。
ナポリの湾に船を敷き詰めて桟橋状にしてその上を自分が馬車で走ったとかで、やり放題。
即位当時の人気も飽きられて、周りの人間にも辟易される状態。まるで、安○総理か横綱朝○龍のようだ。
結局、即位から3年半、27歳で側近の近衛隊長に殺されてしまった。
まさか横綱や総理が殺されることは無いと思うけど。
ローマ人の物語 VII 悪名高き皇帝たち より
コンモドゥス=
映画グラディエーターに出てくる暴君 ラッセルクローの敵役
古代ローマでも「黄金の世紀」と言われる五賢帝時代最後の皇帝マルクス・アウレリウス(哲人皇帝)の息子で、超出来そこない。若くしてローマ皇帝となった。
皇帝自身が剣闘士として現代にも残るあのコロッセウムで猛獣や、優秀な剣闘士と剣を交えたらしい。
優秀な剣闘士にしてみれば、とんだ迷惑だ。
皇帝の対戦相手に選ばれた段階で死刑宣告みたいなもんだからどうなんでしょう。
皇帝が勝に決まっている出来試合を見る観衆も面白くは無いとおもうのだが。。
アッポーーー ジャイアント馬場の試合を見るような感覚で見ていたのであろうか。
こちらも、馬鹿さかげんのため31歳の若さで暗殺されて一生を終わった。それでも在位期間12年とカリグラよりかなり長い。
この後、ローマ帝国は下り坂を転げ落ちるように衰えていく。
ローマ人の物語 XI 終わりの始まり より
有名な暴君ネロより愚帝だと思うが、これでも(多分)最悪のローマ皇帝ではないところがすごい。(何をもって1番2番というかは無責任だけど。)
それにしても昔の暦は今の暦のように正確ではなかったので、誕生日が8月31日と言ってもあまり意味が無いかもしれないが、トリビア知識として面白い。
誕生日に カリグラとコモドゥスが並んでいた。
カリグラ、コンモドゥスを知らない人のために。
カリグラ=
ローマ帝国3代目の皇帝。
若くして皇帝になり、先代皇帝のティベリウスが老齢、コチコチ、どケチのワンマンだったため不評で、若い皇帝に期待が集まって大衆の人気抜群で、新皇帝に迎えられた。
期待通りカリグラは先代と違ってど派手で、金遣いも荒く、先代の蓄えた財を湯水のように垂れ流し。減税で、市民を喜ばせ、パンとサーカスといわれる福祉と娯楽にバンバン金をつぎ込んだ。福祉というとよさそうだが、要は市民の人気取り。
映画ベンハー(かなり古い)で戦車競争が行われるのは多分このころ今のバチカンの場所に戦車競技場を作って市民と一緒になって興奮していららしい。
現代では非人間的というとこで批判の対象にされるが、当時のローマ市民に人気のあった剣闘士試合を復活させた。
ナポリの湾に船を敷き詰めて桟橋状にしてその上を自分が馬車で走ったとかで、やり放題。
即位当時の人気も飽きられて、周りの人間にも辟易される状態。まるで、安○総理か横綱朝○龍のようだ。
結局、即位から3年半、27歳で側近の近衛隊長に殺されてしまった。
まさか横綱や総理が殺されることは無いと思うけど。
ローマ人の物語 VII 悪名高き皇帝たち より
コンモドゥス=
映画グラディエーターに出てくる暴君 ラッセルクローの敵役
古代ローマでも「黄金の世紀」と言われる五賢帝時代最後の皇帝マルクス・アウレリウス(哲人皇帝)の息子で、超出来そこない。若くしてローマ皇帝となった。
皇帝自身が剣闘士として現代にも残るあのコロッセウムで猛獣や、優秀な剣闘士と剣を交えたらしい。
優秀な剣闘士にしてみれば、とんだ迷惑だ。
皇帝の対戦相手に選ばれた段階で死刑宣告みたいなもんだからどうなんでしょう。
皇帝が勝に決まっている出来試合を見る観衆も面白くは無いとおもうのだが。。
アッポーーー ジャイアント馬場の試合を見るような感覚で見ていたのであろうか。
こちらも、馬鹿さかげんのため31歳の若さで暗殺されて一生を終わった。それでも在位期間12年とカリグラよりかなり長い。
この後、ローマ帝国は下り坂を転げ落ちるように衰えていく。
ローマ人の物語 XI 終わりの始まり より
有名な暴君ネロより愚帝だと思うが、これでも(多分)最悪のローマ皇帝ではないところがすごい。(何をもって1番2番というかは無責任だけど。)
それにしても昔の暦は今の暦のように正確ではなかったので、誕生日が8月31日と言ってもあまり意味が無いかもしれないが、トリビア知識として面白い。
東京裁判 その後
2007-08-15-Wed-21:57
昨日、東京裁判の結果が日本にとってプラスになったと書いた。
道楽人はパール判事の意見に賛成なのだが。現実となると賛成しかねてしまうのが、優柔不断。
歴史にIFは無意味というが、あえてIFを考えると。
もし、パール判事の判決通りに全員無罪となった場合。
日本国内で裁くことは出来ただろうか。これは明らかに否。
連合国の裁判で裁けないものを国内法で裁くことは出来なかったでしょう。
サンフランシスコ条約締結後、しばらくして、A級戦犯の釈放要望決議が衆議院で可決されたのを見れば、国内で彼らを裁く気など毛頭なかったのは明らかでしょう。
さらに戦犯の名誉回復もなされて、靖国合祀までつながっていくわけですから。
と言うわけだから、結局区切りなど付けられなかったでしょう。
昨日は厚生省の役人が悪かったと書いたが、たぶん国全体の雰囲気が、このような流れにあったのではないかと思う。もちろん反対を唱えた人もいたかもしれないが、衆議院全会一致というところを見るとほぼ国民の総意だったのではないかと思う。
明らかに冤罪のBC級戦犯も多くいたといわれていて、その人たちを救うためにも細かいことは言っていられない。本来個別問題としてなされるべきところが、十把一絡げでなされてしまった。
つまり、これが政治というものなのでしょう。
また、西洋人の感覚からしたら、全員無罪でその後の日本を許すようなことはなかったのは容易に想像できます。サンフランシスコ条約どころか、朝鮮戦争が日本に飛び火してくることもあったかもしれない。
しかし、ラッキーなことにアメリカの傘の下にはいった日本は奇跡的な発展を遂げた。
ことの良し悪しは別として、現実はこうだった。
これ以降の話になると色々の意見が出てくると思うのでこれを読んでいる人は争わず意見を交わしてね。
道楽人はパール判事の意見に賛成なのだが。現実となると賛成しかねてしまうのが、優柔不断。
歴史にIFは無意味というが、あえてIFを考えると。
もし、パール判事の判決通りに全員無罪となった場合。
日本国内で裁くことは出来ただろうか。これは明らかに否。
連合国の裁判で裁けないものを国内法で裁くことは出来なかったでしょう。
サンフランシスコ条約締結後、しばらくして、A級戦犯の釈放要望決議が衆議院で可決されたのを見れば、国内で彼らを裁く気など毛頭なかったのは明らかでしょう。
さらに戦犯の名誉回復もなされて、靖国合祀までつながっていくわけですから。
と言うわけだから、結局区切りなど付けられなかったでしょう。
昨日は厚生省の役人が悪かったと書いたが、たぶん国全体の雰囲気が、このような流れにあったのではないかと思う。もちろん反対を唱えた人もいたかもしれないが、衆議院全会一致というところを見るとほぼ国民の総意だったのではないかと思う。
明らかに冤罪のBC級戦犯も多くいたといわれていて、その人たちを救うためにも細かいことは言っていられない。本来個別問題としてなされるべきところが、十把一絡げでなされてしまった。
つまり、これが政治というものなのでしょう。
また、西洋人の感覚からしたら、全員無罪でその後の日本を許すようなことはなかったのは容易に想像できます。サンフランシスコ条約どころか、朝鮮戦争が日本に飛び火してくることもあったかもしれない。
しかし、ラッキーなことにアメリカの傘の下にはいった日本は奇跡的な発展を遂げた。
ことの良し悪しは別として、現実はこうだった。
これ以降の話になると色々の意見が出てくると思うのでこれを読んでいる人は争わず意見を交わしてね。
パール判事
2007-08-14-Tue-23:51
このところ重い話になってしまっているが、8月15日あたりの期間くらいは許してもらいましょう。
今日、NHKで東京裁判、パール判事についてドキュメント番組をやっていた。
道楽人は、歴史について好きなのだが、なぜ歴史を知りたがるようになったか。
それは、なぜ日本が負けると分かっている戦争を始めたか?ということに始まるので、東京裁判にもとても関心があります。
このテレビ番組をみて感じたことは。
パール判事は思想家だった。
パトリック判事は裁判官だった。
裁判憲章で示された、「人道に対する罪」「平和に対する罪」で裁くということを守るパトリック。
暴力を憎み平和を希求するが、後付の法で裁くことが出来ないというパール。
しかし最終的に、パトリック判事の判断が判決となった。
これが、現実か。
パールは日本寄りであったわけではない。
ガンジーを師と仰ぐパール。反暴力、法の思想の理解。
やはりすばらしい人だ。改めて、もっと知りたくなった。
現在のアメリカ人、ヨーロッパ人はパル判事のことはほとんど知らないのではないかと思います。もっともっと知ってもらいたい人です。もちろん日本人にも。
人道に対する罪であれば、やはり、無差別空爆や、広島、長崎への原爆投下はなぜ問われないのか。
なぜバターンデスマーチが問われて、ソ連のシベリア抑留が問われないのか。
いろいろ言いたいことはあるが、東京裁判はやはり勝者による敗者への復讐の色合いが強すぎた。
しかし、結果的に、この判決はその後の日本に大きくプラスになったものと思う。(これは、道楽人の判断)
7名のいけにえを捧げることによって区切りを付けられたわけで、少なくても東条はこの結果を素直に受け入れたのではないかと思います。
しかし、その後の厚生省のお役人がいけなかった。
せっかく区切りを付けられたものを蒸し返してしまった。
A級戦犯の靖国合祀問題。
靖国まで流れてしまうとまた長くなってしまうので今日はここまで
今日、NHKで東京裁判、パール判事についてドキュメント番組をやっていた。
道楽人は、歴史について好きなのだが、なぜ歴史を知りたがるようになったか。
それは、なぜ日本が負けると分かっている戦争を始めたか?ということに始まるので、東京裁判にもとても関心があります。
このテレビ番組をみて感じたことは。
パール判事は思想家だった。
パトリック判事は裁判官だった。
裁判憲章で示された、「人道に対する罪」「平和に対する罪」で裁くということを守るパトリック。
暴力を憎み平和を希求するが、後付の法で裁くことが出来ないというパール。
しかし最終的に、パトリック判事の判断が判決となった。
これが、現実か。
パールは日本寄りであったわけではない。
ガンジーを師と仰ぐパール。反暴力、法の思想の理解。
やはりすばらしい人だ。改めて、もっと知りたくなった。
現在のアメリカ人、ヨーロッパ人はパル判事のことはほとんど知らないのではないかと思います。もっともっと知ってもらいたい人です。もちろん日本人にも。
人道に対する罪であれば、やはり、無差別空爆や、広島、長崎への原爆投下はなぜ問われないのか。
なぜバターンデスマーチが問われて、ソ連のシベリア抑留が問われないのか。
いろいろ言いたいことはあるが、東京裁判はやはり勝者による敗者への復讐の色合いが強すぎた。
しかし、結果的に、この判決はその後の日本に大きくプラスになったものと思う。(これは、道楽人の判断)
7名のいけにえを捧げることによって区切りを付けられたわけで、少なくても東条はこの結果を素直に受け入れたのではないかと思います。
しかし、その後の厚生省のお役人がいけなかった。
せっかく区切りを付けられたものを蒸し返してしまった。
A級戦犯の靖国合祀問題。
靖国まで流れてしまうとまた長くなってしまうので今日はここまで
アヘン戦争と幕末
2007-08-13-Mon-14:01
昨日
「賢者は歴史に学び、愚者は体験に学ぶ」この言葉の賛否はあるだろうけど、幕末の日本は賢者だったのか?昭和初期の日本は愚者だったのか?
と書いてしまった。
これは間違いだった。
幕末、明治初期の日本は、歴史に学んだわけではなく目の前の中国の有様に恐れおののいていたのであって、賢者とは程遠い。
道楽人はこの時代の日本がなぜ尊皇攘夷から開国、富国強兵へと進んだのか疑問でならなかった。しかも尊皇攘夷のリーダーが躊躇せずコロッと変身したか。
このアヘン戦争あたりの日本を取り巻く環境を理解することで、なんとなく分かってきたような気がする。
世に棲む日々 司馬遼太郎
中国の歴史 陳舜臣
阿片戦争 陳舜臣 この本はまだ読んでいない。
是非読んでみたい本
アヘン戦争とはどんな戦争だったか。
これは非常に小さな戦争だった。中国にとっても局地戦であり敗戦であっても局地戦での敗戦であって、北京にいる連中には深刻ではなかったかもしれない。
事件の概要はこうだ。
アヘン密輸による臣民の疲弊をみかねた中国政府は、アヘンの貿易はしないという誓約書を要請した。しかしイギリスの商人はこれを無視したため、時の宰相、林則徐はイギリス船を拿捕、積んでいたアヘンを没収、廃棄処分にした。
これに立腹したイギリスは軍隊を派遣して圧倒的な武力で中国を破りアヘン貿易を認めさせ廃棄したアヘンの損害賠償までとり、さらに香港まで割譲させたのである。
こんな理不尽許されるのか!!
さらに15年の後、イギリスは借りていた中国籍の船にイギリスのユニオンジャックを揚げていたが中国官憲に旗を降ろさせられた。
これを口実にイギリスが派兵して北京郊外の円明園の焼き討ち略奪まで発展してしまった。このやりすぎをイギリスは謝るどころか北京条約で天津の開港、九竜半島の割譲などやりたい放題。これがアロー号事件
アヘン戦争 1840年から42年
アロー号事件(戦争)1857年から60年
ペリー浦賀来航 1853年
とにかく強者の理論がまかり通る。
強いものが正義なのだ。
だから戦争がおきるのだろう。
強いものが、正しく模範になっていれば平和なんだろうけど現実はそうはいかない。また、歴史は勝者の歴史でもある。
先に戻って、昭和初期の日本についても間違いだ。
歴史に学ばず、さらに体験にも学ぶことが出来なかった。
これはまたの機会に
「賢者は歴史に学び、愚者は体験に学ぶ」この言葉の賛否はあるだろうけど、幕末の日本は賢者だったのか?昭和初期の日本は愚者だったのか?
と書いてしまった。
これは間違いだった。
幕末、明治初期の日本は、歴史に学んだわけではなく目の前の中国の有様に恐れおののいていたのであって、賢者とは程遠い。
道楽人はこの時代の日本がなぜ尊皇攘夷から開国、富国強兵へと進んだのか疑問でならなかった。しかも尊皇攘夷のリーダーが躊躇せずコロッと変身したか。
このアヘン戦争あたりの日本を取り巻く環境を理解することで、なんとなく分かってきたような気がする。
世に棲む日々 司馬遼太郎
中国の歴史 陳舜臣
阿片戦争 陳舜臣 この本はまだ読んでいない。
是非読んでみたい本
アヘン戦争とはどんな戦争だったか。
これは非常に小さな戦争だった。中国にとっても局地戦であり敗戦であっても局地戦での敗戦であって、北京にいる連中には深刻ではなかったかもしれない。
事件の概要はこうだ。
アヘン密輸による臣民の疲弊をみかねた中国政府は、アヘンの貿易はしないという誓約書を要請した。しかしイギリスの商人はこれを無視したため、時の宰相、林則徐はイギリス船を拿捕、積んでいたアヘンを没収、廃棄処分にした。
これに立腹したイギリスは軍隊を派遣して圧倒的な武力で中国を破りアヘン貿易を認めさせ廃棄したアヘンの損害賠償までとり、さらに香港まで割譲させたのである。
こんな理不尽許されるのか!!
さらに15年の後、イギリスは借りていた中国籍の船にイギリスのユニオンジャックを揚げていたが中国官憲に旗を降ろさせられた。
これを口実にイギリスが派兵して北京郊外の円明園の焼き討ち略奪まで発展してしまった。このやりすぎをイギリスは謝るどころか北京条約で天津の開港、九竜半島の割譲などやりたい放題。これがアロー号事件
アヘン戦争 1840年から42年
アロー号事件(戦争)1857年から60年
ペリー浦賀来航 1853年
とにかく強者の理論がまかり通る。
強いものが正義なのだ。
だから戦争がおきるのだろう。
強いものが、正しく模範になっていれば平和なんだろうけど現実はそうはいかない。また、歴史は勝者の歴史でもある。
先に戻って、昭和初期の日本についても間違いだ。
歴史に学ばず、さらに体験にも学ぶことが出来なかった。
これはまたの機会に
古代の少子化
2007-08-08-Wed-22:38
少子化つながりでいってみよう。
塩野七生にはまっていることはこの前書いたが、今から2000年前、カエサル(シーザー)、アウグストゥスの時代、古代ローマの安定期が始まる頃、やはり少子化に悩まされたらしい。
文明によって都市への人口の集中、富の集中が起こると少子化へ向かうらしい。
なにしろ、2000年前の都市ローマは人口100万だったというのだから信じられない。(その頃の日本はまだ歴史がない)
古代ローマの社会問題は、少子化と同時に、富の偏在の問題、教育問題、社会福祉の問題と、現在の先進国と言われる国々の問題とまったく同じ。
いわゆる上流社会に属する人々は、結婚して苦労したくない。子供を生んで面倒なことはしたくない。それなりに老後までお金の心配はないので子供に頼る必要もない。
いわゆる中流は上流のおこぼれをうまくすっているので考え方も上流と同じ。
いわゆる下層に属する人々は、生きるのに最低限の社会福祉はあるので食にはこまらない。けど、結婚して子供を生むほどの余裕はない。
ローマの公衆浴場は、上流から下層の人まで一緒に入っていたらしい。いまの日本のスーパー浴場と同じように、リラックス&スポーツジムのようなもの。
口では、不満をいうものの、生活にはそこそこ満足している。
子や孫の代のことなど考える気になれない。
今の日本とほとんど同じじゃん。
初代ローマ皇帝アウグストゥスは、少子化対策をどうしたか。
大胆な税制改革。
なんと、未婚で、子供のいない女性は40歳(?たしかこのくらいの年齢だと思った)になると財産の半分没収。死亡したら知人などの第3者への遺産相続も許されず。全て国家が没収。(記憶で書いているので間違っているかもしれないが、ひどい)
今の日本で、こんなこと提案したら、女は子供を生む機械じゃないと言って、久間発言なんてもんじゃないくらい、バッシングされそうですね。
それと、奨学金制度、中下流の人たちの中の優秀な若者に教育費の助成を行ったと言うこと。これはすばらしい。
ところで、今の日本で出来る少子化対策ってなんだろう。
名案はないが、
自分が考えるには、都市生活の人に、田舎暮らしの良さを知ってもらうことだと思う。
定年退職してからの田舎くらしではなく、自宅から徒歩30分くらいのところで働き、朝晩は家族みんなで食事をして。
なんていってるけど、地方の小都市に住んでいても、少子化の波は受けているから意味ないか。
塩野七生にはまっていることはこの前書いたが、今から2000年前、カエサル(シーザー)、アウグストゥスの時代、古代ローマの安定期が始まる頃、やはり少子化に悩まされたらしい。
文明によって都市への人口の集中、富の集中が起こると少子化へ向かうらしい。
なにしろ、2000年前の都市ローマは人口100万だったというのだから信じられない。(その頃の日本はまだ歴史がない)
古代ローマの社会問題は、少子化と同時に、富の偏在の問題、教育問題、社会福祉の問題と、現在の先進国と言われる国々の問題とまったく同じ。
いわゆる上流社会に属する人々は、結婚して苦労したくない。子供を生んで面倒なことはしたくない。それなりに老後までお金の心配はないので子供に頼る必要もない。
いわゆる中流は上流のおこぼれをうまくすっているので考え方も上流と同じ。
いわゆる下層に属する人々は、生きるのに最低限の社会福祉はあるので食にはこまらない。けど、結婚して子供を生むほどの余裕はない。
ローマの公衆浴場は、上流から下層の人まで一緒に入っていたらしい。いまの日本のスーパー浴場と同じように、リラックス&スポーツジムのようなもの。
口では、不満をいうものの、生活にはそこそこ満足している。
子や孫の代のことなど考える気になれない。
今の日本とほとんど同じじゃん。
初代ローマ皇帝アウグストゥスは、少子化対策をどうしたか。
大胆な税制改革。
なんと、未婚で、子供のいない女性は40歳(?たしかこのくらいの年齢だと思った)になると財産の半分没収。死亡したら知人などの第3者への遺産相続も許されず。全て国家が没収。(記憶で書いているので間違っているかもしれないが、ひどい)
今の日本で、こんなこと提案したら、女は子供を生む機械じゃないと言って、久間発言なんてもんじゃないくらい、バッシングされそうですね。
それと、奨学金制度、中下流の人たちの中の優秀な若者に教育費の助成を行ったと言うこと。これはすばらしい。
ところで、今の日本で出来る少子化対策ってなんだろう。
名案はないが、
自分が考えるには、都市生活の人に、田舎暮らしの良さを知ってもらうことだと思う。
定年退職してからの田舎くらしではなく、自宅から徒歩30分くらいのところで働き、朝晩は家族みんなで食事をして。
なんていってるけど、地方の小都市に住んでいても、少子化の波は受けているから意味ないか。



